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dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

スポーツをすることには意義があるのか

僕は元々スポーツが大好きだ。自身のキャリアもスポーツ好きが高じて(全然うまくいかなかったけど)個人事業主のトレーナーとして活動開始したのが最初だ。そんなスポーツに対して、今でも好きなことに変わりはない(と、自分では思ってる)。

だけど、そこまで熱烈な感じはなく、あくまでも趣味レベルで「いいよね」という程度。

 

今回のエントリで考えたいのは『スポーツをすることの意義』。スポーツが好きで好きでたまらない、その世界にどっぷり浸かっている人たちに対して異議を唱えるのと、全くスポーツに対して期待していない人に向けて書いてみたい。それは『スポーツに投じる時間とお金というコストは支払うだけの意義があるのか』という点において。

 

結論として、なぜ僕がこんなことを考えるのかといえば、子どもが生まれ一緒に生活する中で、スポーツを“させたい”と強く思ってないからだ。もっといえば、別にやらなくていいとすら思ってる。本人が望むのであれば別だが、親の立場としてはどうしてもやって欲しいとは思っていない。

 

そうはいっても、僕はスポーツに意義があるとは考えていて、スポーツをすることによって得ることがあるだろうとは経験則・実感値としてある。ただ、全面的に意義があると考えているわけではなく、あくまでも一部分においては...という条件付きだ。

 

まず考えなければならないのはスポーツに対して期待する効果は何か、ということ。スポーツとは果たして、何を消費し、どんなものを得ることができるのか

 

スポーツは自らの時間と活動を交換し、身体的・精神的な・向上・改善・快復を試みる手段であり、その過程にある上達過程・意思の疎通過程において、達成感や満足感を得ることできるうえ、集団的なスポーツになれば団結力やコミュニケーション能力の醸成にも影響を与えることができるであろうと仮定すると、スポーツの目的は『自己実現』であり『自己表現』であり『自己満足』を得ること、つまり『自尊心の獲得』と僕は考えている。つまり、スポーツの価値はそれらの目的を達成することで、それを生活の中で獲得することに意義があるのではないか。

 

また、スポーツは映画や演劇など他分野でいうエンターテイメント的な面を備えており、地域ごとに創設されているプロスポーツは興行として行われ、おらが街の誇りとして地域住民の自尊心や一体感、連帯感に火を焚きつけてくれる。

 

おそらく、スポーツが好きで、現段階においてなんらかのスポーツを実践している人、スポーツを観戦し、応援している人にとって上記内容はそう遠くない実感として受け入れてもらえるのではないか。

 

それでは、スポーツの価値について日本の中における指針はどこにあるのか。日本の中では文部科学省が管轄していたし、今ではスポーツ庁が管轄下にスポーツを置いていることから、それらが定めるスポーツ基本計画を見ていくことが適当だろう。

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スポーツ基本計画:文部科学省

スポーツ基本計画:スポーツ庁

文部科学省がスポーツ基本計画の中で書いている一文を参照するのが良さそうだ。スポーツ基本計画(第二期)の中で文部科学省は以下のように書いている(が、これはスポーツの価値について『人生』『社会』『世界』『未来』という4つの中の『スポーツで人生を変える』という部分での内容である)。

スポーツ基本法において,スポーツは「心身の健全な発達,健康及び体力の保持増進,精神的な充足感の獲得,自律心その他の精神の涵養等のために個人又は 集団で行われる運動競技その他の身体活動」と広く捉えられており,「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは,全ての人々の権利」であるとされている。

人生の中でスポーツに対し『する、みる、ささえる』ことは『スポーツを日常生活に位置付けることで,スポーツの力により人生を楽しく健康で生き生きとしたものにすることができる。』としていることから、スポーツにいずれかの形で関わりを持つことで、その効用を享受できるということだ。

 

スポーツをすることは、人生の中においてどれほどの確率で投資に対するリターンを享受できるのだろうか。冒頭でも述べたように『時間とお金』を投ずる以上は、それに対しての効果や効用を見るべきだ。それを見ずに効果の検証を行うということは、そもそもスポーツに『お金や時間を使う』ということを考えるな、という感情的な話になってしまうし、それは『体育』だ。

 

今回、僕が一貫して述べているのは『スポーツをすること』へ投資した時間とお金はどのぐらいの利率でリターンを得ることができるのか。そのためにはゴール設定が必要だ。ゴールとしては、国の代表としてオリンピックに出場することを一つのゴールとした場合について考えてみることにする。

 

各競技ごとに本格的に競技として取り組んでいくであろう年齢は異なるだろうし、生物学的年齢や暦年齢でいう早熟や遅熟を考慮する必要も出てくるのだが、高校サッカーや甲子園など、メディアとしても扱われる機会が増える高校生年代の競技人口からオリンピック代表に選ばれることを率として概算で単純に計算してみると以下のようになる。

 

まず、全国高等学校体育連盟に属する競技団体への登録者数(2018年1月訂正)は1,246,713名、高等学校野球連盟へ所属する登録者数(2017年5月)は161,573名となっており、高校生段階で1,408,286名の競技スポーツへの参加している学生たちがいるということになる。

 

余談ではあるが、2017年日本の中にいる15~19歳の人口数*1は2,920,000人となっているが、概算的に引用させてもらえば、およそ48%が競技スポーツに関わっている計算となる。(あくまでも概算であることを重ねておく)つまり、高校生の半数はレベルの高低はあれど、スポーツに関わっていることになる。


高校生年代における競技スポーツ登録者数が1,408,286名がそのまま競技を続けるわけでもなければ、オリンピックに正式競技として採用されていない競技を取り組んでいることもある。その中でオリンピック代表に選ばれるとしたら、そもそも競技を選別しなければならないし、長く競技を継続できるレベルに達している必要がある。

 

リオデジャネイロ(ブラジル)で開催されたオリンピックでの日本選手団人数(元データはこちら*2が338名だったため、もし、何かしらの競技を続けていたとして、日本のトップレベルに到達する場合、リターン率は0.00024%となった。 一万人に二人だ。

 

もちろん、各種競技ごとにこの倍率は異なるだろうし、何かしらの変数があることも否定しないが、上記したように、概算で単純計算をしてスポーツをすることからオリンピック代表になることをゴール設定したことを想定している。

 

狭い門である、ということを言いたいのではない。そんなことはわかりきっている。本題はここから先だ。スポーツに特化した生活を送り、スポーツで日本代表として活動するために相応の時間とお金をかけたところで、代表としてオリンピックに出れるかどうかは全くわからない

 

競技者としての技能や実力は確かに向上しているであろうが、それをなくした際に何が残るのだろうか、ということが僕が考えたスポーツをする意義に対する疑問だ。

 

スポーツに特化した生活を行うことによって、会社経営ができるわけでも、経営に関わる技能が身につくわけでも、もっといえば、生活する中で役に立つ知恵が身につくわけでもない。

 

これが僕の子どもにスポーツを絶対にやってもらいたいと思えない大きな理由だ。

 

もちろん、全否定をするつもりは一切ないし、冒頭でも述べたように、僕はスポーツが好きだし、自分が成長することを実感した時は本当に楽しかったし、うまくいかない時に工夫することの大切さを身を以て体験できたことには感謝すらしている。

 

ただ、それは上での触れたが『自己満足』だ。もちろん、それでいいのだ。僕がスポーツに期待する部分はここであり、自らがやりたいと思う動きや体勢、道具を扱う、そして相手との駆け引きなど、自分のことを認めること、つまり自尊心や成功体験を味わうことの重要性は僕自身味わっているし、大切な部分だ。

 

ただ、根本的にスポーツは遊びだ。遊びを徹底的に攻略したところで、それを楽しむ方法や見方を増やすことはできても、会社の会計を担当することはできないし、Webサイトを構築することもできないし、人を感動させる文章を書くこともできない。

 

プロで活動するスポーツ選手も多くの選手が10年も20年も続けられるわけではない。プロ野球選手の球団との選手契約を打ち切られる選手に関する情報は日本プロ野球機構のサイト内にページを設けて公表されている。

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(出典: 日本プロ野球機構『セカンドキャリア>2016年度』

大卒選手や社会人野球経験者がドラフトされる制度的なこともあるが、30歳手前で、在籍年数は8.5年となっている。これはJリーグでは契約を打ち切られる平均年齢は25,6歳となっている。しかし、何もビジネスをしてこなかった人材が、企業側も採用に関していえば簡単ではない。

 

ここまでスポーツに関して、することの意義を考えてきた。もちろん、それぞれに満足する形で関わればいい、というのはよくわかるし、それでいいのかもしれない。夢のある世界であるというのはその通りだと思う。しかし、厳しい言葉を使えば、夢を搾取することで成り立っている側面も正面切って否定できるだろうか...。

 

あくまでも遊びであり、遊びに対して本気になることは、むしろ歓迎だ。しかし、そんな本気の子ども達に対し、スポーツをするということをメリットとデメリットを説明できることは大人として不可欠な態度なのではないかという思いから本エントリを書いた。

 

僕の結論としては、スポーツをすることは意義があるとはいい難い。しかし、スポーツの自己満足(自己実現・表現・肯定感・成功体験)を満たす効用については大いに期待できるし、実体験としてもオススメはできる、と考えているということでエントリを締めたい。

*1:総務省統計局 統計データ > 人口推計 > 人口推計の概要,推計結果等 >人口推計の結果の概要 より

*2:リオデジャネイロオリンピック2016 日本代表選手団 - JOC