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【橘玲】『80’s(エイティーズ) ある80年代の物語』は当事者性の重要さを認識できる稀有な自叙伝

橘玲にとって最初で最後になる自叙伝だ。 

他人の物語を追体験することは決して楽な作業ではない。なぜなら、自叙伝は本人の物語を追従したくなると感じなければ魅力が大幅に下落してしまうものだが、そこにこそ魅力がある。しかし、書く人間の能力によって抑揚がつきすぎてたり、逆に物足りなかったりすることでその魅力を引き出せるかどうかが大きく分かれる。

 

ぼくは1985年生まれのため、彼の半生を同時期に過ごせていたわけではない。が、本書内に登場する日本史的な事柄については、記憶にありながら読み聞きしたことで理解したことがあるのと、異国の物語ではなかったことが大きいのだと思うが、非常に当事者性を感じながら読むことができた。

ぼくが彼の作品を読んだのは、マネーロンダリング (幻冬舎文庫)がはじめだが、その内容に驚嘆したのは今でも鮮明に覚えている。というのもぼくは今でこそ本を読むことが大好きで積読書は常に数冊置いてあるような状態だが、元来、本を読むことは得意ではなかった。

そのことについては、自己紹介記事内にあるので、興味があれば読んでいただきたい。

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しかし、興味本位ながら、ぼくは聞いたことのある言葉でマネーロンダリングという“辛辣な言葉”に好奇心を刺激されたことから手にとって読むことにした。彼の著作の特徴は常に一般的な尺度からすると“辛辣な言葉”を多用することが多い。

その理由は、本書内で彼の物語を追体験することで理解できる。物語である彼の大学在学中から2008年までに、多くの大人に囲まれ、廃れる様を見てきた。その人たちに届けるために辛辣な表現でなければならない。つまり、刺さらない。刺すべきなだからこそ、あえてそういう表現を選ぶべきなのだ。

 

中でもぼくが彼の物語の中におけるハイライトだと感じたのは、彼自身が物語における“80年代の終結”と位置付けているオウム真理教事件に当事者として関わっていたことだ。

唯一の取材可能なメディアとしてサティアンへの出入りすることが可能だったという立場と、大学時代の隣人が15年ぶりに再会したらテロリストになっていた、という当事者性だ。

正直、ぼくはオウム真理教について、何も知らない。

事件当時、小学校4年生だったぼくはTVから「サリン」という聞いたこともないクスリが入った袋をビニール傘で破り、電車内に充満させた結果『死傷者』が出たという報道を耳目にした。同時に、年齢を重ねるにつれ、ぼくの記憶には大して残らなくなっていった。

ぼくの住む地方都市(新潟)では東京で起こったテロ事件に対し、被害にあった家族も知り合いもいないのだから、当事者性を抱くことなどできない。ただ、TVからは定期的に重大事件として懐古されていたので、それとなく事件が補完されていくのを毎年実感するのみだ。

ある日、本当にある日、気になってWikipediaとか関連記事をネットで読み漁った時がある。それはどうしても腑に落ちなかったことがあるのが理由で、それはいわゆる“有名大学を出たエリートたちが、なぜ狂信的な集団に取り込まれていったのか”だ。

調べるだけであり、関連書籍を読むまでに至らなかったのは了見の狭さゆえだが、TVで言われることを補完する以上のことは、簡単に見つかることもなかった。それでも、補完されている情報に対してイレギュラーな情報に当たった時にはオウム真理教に対する認識がアップデートされていくような実感があった。

 

だが、当事者性は一切生まれて来なかった。真に迫る危機感にも似た「感情」が芽生えることはなかったわけだが、本書を読むことで気づいたことがある。それは当事者性をどうすれば持てるのかということだ。それは体験を追従することだ。体験をトレースし、自らへ反映させることで、当事者性を引き寄せることができる。

ぼくがどこでそれを感じたのかといえば、(長くなってしまうが...)下記の引用部分だ。オウム真理教が「カルト教団」だとか「怪しい新興宗教」だとか、ネットを見たところで出てくる文言は、否定的な意見や見方しか出てこなかった。

ぼくは別に肯定したいわけではない。ただ、否定も肯定もしない中立な見方が知りたかった。しかし、テロを犯した“おかしな集団としてのバイアス”を超えてくる人の文章に出会えなかっただけだが、ぼく自身もそこにたどり着くまでの根気を持つには至らなかった。

釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が悟りを開いたのは二五〇〇年ほど前のことだ。仏教ではユダヤ教キリスト教イスラームのような晴天を定めなかったために、構成の解釈によって仏典は膨大に膨れ上がっていく。そのなかでオリジナルに最も近いのは釈迦の言葉をパーリ語に翻訳したもので、上座部仏教小乗仏教)としてスリランカ屋台、ミャンマーなどに伝わった(南伝仏教)。それに対してサンスクリット語大乗仏教は、釈迦の入滅から五〜六百年後の紀元前後に成立し、三蔵法師などによって感じへと翻訳されたものが六世紀に日本に伝えられる(北伝仏教)。

ここまでは仏教史の常識だが、実は日本の仏教では、こうした歴史は見事に「隠蔽」されたきた。日蓮親鸞など大教団を創始した仏教者が学んだのは漢語の仏典だから、それとは異なる「ほんものの仏教」があるというのはきわめて都合が悪かったのだ。

しかし、サンスクリット語パーリ語に精通する宗教哲学者の中村元などが「原始仏教」を積極的に紹介するようになると、「ほんとうの釈迦の教え」を学びたいと考える者が現れる。こうした流れのなかで、中沢新一さんが大学院在学中にチベット密教を学ぶためにネパールに赴いたことはよく知られている。

オウム真理教に集まった「精神世界系」の若者たちも、パーリ語上座部仏教の経典を学び、密教の修行によって解脱と悟りに至ろうとした。そして彼らは“仏教理解の最先端”にいる覚醒者として、日本の「葬式仏教」を徹底的にバカにした。出家した僧侶が妻帯・肉食・飲酒し、寺を子供に世襲させるなどということは、小乗仏教はもちろん大乗仏教でもあり得ないのだから、日本の仏教そのものが「破戒」なのだ。

これはオウム真理教「仏教原理主義」で、釈迦の言葉を「ほんとう」とする限り、論理的には完全に正しい。オウム真理教に対し既存の仏教教団は「あんなものが仏教であるはずはない」と頑なに対話を拒んだが、その理由はパーリ語上座部仏教もまったく知らないからで、「原理主義的に正しい仏教」と比較されることを恐れたのだ。

この文章群は、当事者性を持つ人間であるから感じ得る部分と客観的な視点を持つメディアとしての立場を踏まえた人間だから見える視点から書かれている冷静な分析だ。この視点を持つ人だからこそ他の著書を読んでいても、同じような内容を書かれていたとしても新鮮な気持ちで改めて受け止めることができるのだと実感した。

繰り返すが、自叙伝という類は当人の物語に没入できるのかが凄くむずかしいジャンルであり、だからこそ、著者の当事者性をいかに読者に担わせるのかが重要だ。ましてや、ぼくのような当時を丸ごとシンクロできていない世代の琴線に触れるかどうかは、当事者意識を植えつけられるか否かに大きく左右される。

その点、牧歌的な雰囲気を醸し出していながら、鋭い論理性を持った文章で客観的な視点から物語を追随しようと思える所に、喫茶店の情景を思い起こさせる優れた情景描写。

彼が優秀な編集者であったということと、優秀な物書きであるということがギュッと詰まった集大成的な一冊だと断言でき、読み応えがある中で、すっきりと読み終えられる。しかし、もっと浸っていたいと思える。そんな本だった。

彼の著書を読んだことがない人でもすんなりと読めるだろうし、読んだことがあるのであれば、これまで彼が書いた書籍における謎が解ける場面が多々出てくるので、そういう面でも楽しめる本だ。

ぜひ、手にとって読んでもらいたいと思う。

80's エイティーズ ある80年代の物語

80's エイティーズ ある80年代の物語

 

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