【橘玲】金融リテラシーの重要性は『臆病者のための億万長者入門』を読むことで認識される
「愚か者の税金」という言葉を耳にしたことがある人はいるだろうか。これにピンときたあなたは経済学を学んだことのある人か、ファイナンシャルリテラシー*1が高い人かもしれない。もし、聞き覚えのない言葉だった人は注意が必要だ。
次の文章を読んでいただき、ここがどこなのかをあててみてもらえるだろうか。
“いま、あなたは行列のできているある店舗をたまたま見つめている。
その行列の先には『ここから出ました』という文字列が並び、行列をなす人たちの手には財布が握り締められている。
無表情ながらも、みなが奥底で「自分こそ」と意気込み、力んでいるかのような緊迫感が少し離れたこの場所からも感じ取ることができる。”
どうだろう。
もしかしたら、この行列に並んだことのある人も中にはいるのかもしれない。
そう、ここは宝くじ売り場だ。
そして、冒頭で記載した「愚か者の税金」とは、宝くじを買い求める人が日本宝くじ財団に支払うハズレ権の購入代金のことだ。(詳しい説明は後ほど)宝くじを買い求める人は「夢」を買うという言い方をするが、2017年末に発売されたジャンボ宝くじは、一等前後賞あわせて6億円という破格の当選金額であり、たしかに夢を買うという表現も心なしか的を得ているようにも感じる。
しかし、結論から言えば、宝くじが当たるのは「誰かではあるが、あなたではない」。
その確率が自分になるかもしれない、ということを期待し、そこに金銭を投じることはハッキリ言って無駄になる、ということから「愚か者の税金」という言い方がされている。
理由は至極シンプルで、割が悪いのだ。
競馬や競艇、自転車など公営ギャンブルなどと比較して、当選の確率がどれぐらいなのかを比較してみると明らかになる。本書内の引用から宝くじがどれだけ射幸心を煽ることだけを目的に設定されているものなのかを説明する。
日本の交通事故死亡者数は年々減少して、2013年は4373人だった。これを人口比で見ると、1年間に交通事故で死亡するのは3万人に1人だ。
宝くじで1等が当たる確率は交通事故死の300分の1以下。ということは、宝くじを10万円分買って、ようやく1年以内に交通事故で死ぬ確率と同じになる。
それでは宝くじの手数料はどうなっているだろう。
100円の購入代金のうち平均していくらが賞金として払い戻されるかが宝くじの期待値(還元率)で、ジャンボ宝くじでは49.66円しかない。賞金分は半分だけで、残りの半分は販売経費を差し引いた上で地方自治体に分配される。
金融庁は金融商品取引法(金商法)で、株式やファンドなどを販売する事業者に対して、顧客保護の原則に立って厳しい義務を課している。
金融商品を販売する際は、過度に射幸心を煽らず、顧客に正確な情報を提供し、冷静で客観的な判断ができるようにしなければならない。とりわけ投資のリスクを説明することと、顧客にとって不利な情報、すなわち金融商品のコストを明示することが強調されている。
宝くじの商品特性を金商法の理念に照らすと、券面にはリスクとコストを次のような文面ではっきりと書く必要がある。
「宝くじにの購入にはリスクがあります。1等の当選確率は1000万分の1で、宝くじを毎回3万円分、0歳から100年間購入したとしても、99.9%の購入者は生涯当せんすることはありません」
「宝くじには、購入代金に対して50%の手数料がかかります。宝くじの購入者は、平均して購入代金の半額を失うことになります」
ラスベガスのルーレットの期待値は95%、パチンコは97%、カジノで最も人気のあるバカラの期待値は99%だ。競馬などの公営競技でも期待値は75%ある。期待値が50%を下回る宝くじやサッカーくじは、世界でもっとも割の悪いギャンブルだ。
さて、改めて問おう。それでもあなたは宝くじを買うや否や。
引用部分にもあるように宝くじの期待値は半分であり、それ以外は販売経費を差し引いた上で、地方自治体に分配される、とある。
つまり、税金のように徴収された上で国民に再分配されるのだ。
「愚か者の税金」と呼ぶ理由は、消費税や所得税のように国民全員に課せられるものではなく、あくまでも購入した者だけに課せられることが理由であり、宝くじを買い求める行為は、不幸にも交通事故で死んでしまうよりも低い確率で割の悪いギャンブルに幸福を求めるということを指して「愚か者」とされている。
本書の中で一貫して述べているのはたった一つだ。“経済的に成功するためには経済的合理的でなければならない”ということであり、そのためにはお金にまつわるルール(会計知識や税法など)を把握すること、そして、実践することに他ならない。
宝くじであろうと、保険であろうと、自らの金銭を投げうち、その対価を得ようとするという意味では、それらに違いはない。(本書内では保険を「不幸の宝くじ」と呼んでいる)それを求めるのであれば、計算しなければならないし、できなければならない。
そして、それを計算する理由については、本書の「はじめに」に記載されいてる文章で、その解を得ることになる。
資産運用は金儲けの手段ではなく、人生における経済的リスクを管理するためにある
さて、本書のタイトルに「臆病者」と付いているのはなぜだろう。
ファイナンシャルリテラシーの高い人間は自分にとって利益が出る(儲かる可能性)話が出てきたときに何をするのかといえば、その利益に関わるコストについて考える。つまり、その儲け話を提供する側の人間がどのように考え、その仕組みを作り、どうも受けようとしているのかを考え、調べるのだ。この姿勢が「臆病者」ということになる。
逆にリテラシーの低い人間はどう行動するのか。宝くじを買う人間の行動を考えれば決して難しくない。簡単にいえば無謀なのだ。
「自分は特別であり、世界の中心。」
「自分の判断が間違っているわけがない。」
「今回は外してしまったが、次回は大丈夫。」
つまり、対戦相手のことを全く考えない。相手のことを調べようともしない。コストについて考えるなんて面倒なことはしたくない。学ぶことは時間の無駄であり、それをするぐらいならば他の儲け話を探し、そこへ私財を投じた方がいいと考え、一極集中的に資産を集中投下する。結果、リターンではなく、コストを引き上げることに繋がる。
未来は誰にも予測し得ないが、その予測し得ない状況の中で、世界の中心に自分がいると考えること(ファイナンシャルリテラシーを低く保つこと)は、自らの経済的なリスクを高めているだけに他ならない。
億万長者になることは、たやすいことではないかもしれない。しかし、手に入れることが出来るかどうかは、ファイナンシャルリテラシーを身につけられるかどうかであり、これは文字の読み書きと同様、後天的に誰もが身につけることが出来るものだ。
つまり、これを書いてるぼくにも、読んでいるあなたにも身につけられるものということだ。
*1:文章の読み書き能力ができることを指すことから