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【大村大次郎】『お金の流れでわかる世界の歴史』読むことで経済の大切さを実感する

ぼくたちは日本史や世界史を学校教育の中で学ぶ場合、政治力や戦力、時勢を味方につけた国が覇権を握り、他国を支配する力を所持してきたという内容が多い。

少なくとも、ぼくの認識ではそうだ。

しかし、本書のタイトルにもなっているように、世界の覇権を握る国は得てしてお金を握っている。つまり、経済の覇権を握っている国となっていることがわかる。

 

ぼくはここで「日本史」だけを学ぶことへ疑問を抱く。

もちろん、日本の過去を学ぶことは、過去を生きた先人たちの行動や行為履歴を辿ることであり、そこから学ぶことが日本自体をアップデートをする上で不可欠な取り組みなはずだ。

しかし、それを日本の中だけの話として完結していいものなのかどうか。

 

聖徳太子が当時の中国、隋へ特使を派遣した遣隋使や、その後に続く遣唐使を派遣した流れも、日本史の中だけで論ずることには不可能なことはすぐにわかる。

というのも、当時の中国である隋の状況も踏まえなければ、日本が当時の中国へ派遣した遣隋使の役割など到底理解できるものではない。

しかし、ぼくが学んだ日本史では、ただただ、暗記をするだけで「文脈」が全くわかっていない。覚えているのは、その遣隋使や遣唐使、という名前ぐらいなもので、あとは年代が異なることぐらいなもの。

大切なことは、「どんな文脈で歴史的な事実が発生しているのか」という点であり、現代の北朝鮮をめぐる世界情勢も、北朝鮮と日本の関係だけを見ていてもさっぱりだ。

アメリカや中国、ロシア、そして韓国などに目を見張らせるからこそ、北朝鮮を観察することができるのであって、それは日本の中だけの話をしても全く理解できないのは当然だ。

つまり、世界史を学ぶ中に日本史があるのであって、日本史が前提とはならないのだ。無論、掘り下げてみていく際に、その対象国の内側のイデオロギーや、政治の流れを追うことにかけて、それぞれの国の歴史を見ることは必要だろう。

それだけを見たところで、地球の中にある日本のポジションは永遠に見ることはできないうえに、どのような力学は働いた結果の判断や決断であったのかを知る由もなくなってしまう。

 

ある国が栄華を極めることも、その国が栄華を失い、新たな栄華を手にする国が現れるのも、軍事的な力量にものを言わせ、強圧的に支配地域を広げたいという名誉欲だけから、ということはない。

そもそも名誉というのは、他者から与えられるものであり、他者が認めなければ、認めることを成さなければ得ることができないものだ。

人の数が多くなればなるほどに、自らの思考に近い人材だけを束ねる能力だけではなく、誰とも知れない誰かの幸福を助けることができる能力と、施策が求められ、その成果によって豊さを実現しなければならない。

だからこその経済。世界の中で経済的な覇権を握ることを、国の指導者は強く求めるし、実現しようと躍起になる。その繰り返しが世界の歴史だということが本書の主旨であり、ぼくたち読者が知るべきことだ。

 

さて、国が隆盛する際に最も必要なものは何か、そして、隆盛を極めた国が衰退する理由は何か。少なくとも、ぼくはこれまでの歴史を学ぶ過程で考えたことはない。

著者である大村は、「統一国家」と「役人の腐敗」がそのキーワードだとする。

古今東西、国家を維持していくためには、「徴税システムの整備」と「国民生活の安定」が絶対条件なのである。

(中略) 

徴税がうまくいっている間は富み栄えるが、やがて役人たちが腐敗していくと国家財政が傾く。それを立て直すために重税を課し、領民の不満が渦巻くようになる。

そして国内に生まれた対抗勢力や、外国からの侵略者によって、その国の政権(王)は滅んでいくのだ。

 言ってしまえば「型」だが、国の栄枯盛衰にも型があり、その型を知ることは歴史を学ぶ上でも非常に重要ということだ。

特に世界大戦の前後を見てみると、そのパワーバランスの奪い合いは、経済的なイニシアティブの取り合いであり、経済的な主権を握る新旧交代がなされる瞬間に発生している。

第1次、第2次大戦のどちらを見ても、欧州地域におけるドイツの台頭が引き金になっているのは疑いようのない事実だ。

しかし、ドイツがすべて悪いのかというと、それまで覇権を握っていた国々(イギリスを代表格にフランスなど)が台頭してきた国(このケースでいえばドイツ)に対し、怒りの拳を振り上げたという大人げない対応だとも見える。

日本の経済成長は明治政府時代から培われたものだという著者の主張には数字が伴っており、説得力があるが、長い年月を費やし、どこの国でも手にした経済成長を維持をしようと思えば、輸出を受け入れる対象となる国が必要だ。

日本は幕末以降、「生糸」を中心に輸出大国としての狼煙を上げつつあり、その影響力は徐々に強くなり、イギリスの植民地であった「インド」はイギリスにとって重要な市場だったにも関わらず、日本が価格と品質で優れていた。

ここをイギリスは植民地政策の優位性を活かし「ブロック経済」(ブロック圏外の国からの輸入品には高い関税をかける政策)を敷くことで日本を追い出し、なんとか優位性を保とうと躍起になっていたことがわかる。

欧州内でもドイツに経済大国としての地位を奪われながら、極東に位置する小さな島国にまで自国の重要な市場を抑えられたとあっては面子が立たないどころではない。

そして、満州は欧米各国にとって、植民地支配を受けていない上に広大な土地を持った非常に魅力的で貴重な地域だったが、それを日本が抑え、東アジアの支配権を主張したことから第2次世界大戦へと流れていく...。

 

このように、経済的な覇権を握ることは、世界の中でも主導権を握るために不可欠な要素であり、それを維持したいと思うのが各国の思惑だ。

そのタガが、何かのタイミングで爆発し、怒りの赴くままに走り出してしまった結果が戦争という悲しい物語へとつながっていくのだと実感する。

本書を読むことで、ぼくはこれまでの歴史というものの見方を変えることができた。そして、それを感じたことから、改めて多面的なものの見方が重要なのだと実感している。

ぜひ、本書を手に取り、歴史に目を向ける機会になれば、と思う次第だ。