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dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

【高井浩章】『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』でお金について考えるべきだ

『おカネの本質について、自分の子どもに対して説明したい』

これは、ぼくのささやかな願望でもあり、希望であり、やるべきタスクだと考えている。

このブログにて扱う書籍を読んだことのある方々ならば、きっと、お金、経済、金融など、おカネにまつわる事案について、一過言ある人もいれば、勉強中という人もいるだろう。

しかし、それを自分ではない他人に対して伝えるというのは容易ではない。

学校での勉強に始まり、自らが興味や関心を持った事柄であったとしても、学んだことを理解し、実践できるようになるためには、インプットのみでは足りず、必ずしもアウトプットが不可欠だ。

もっといえば、アウトプットを踏まえたインプットをすることで学習効率が上がるが、単純に詰め込み型のインプットのみでは、それこそ自己満足で終結してしまう恐れがあるのは、各々で体験したこともあるのではないか。

かくいう、ぼくも、その体験者たるのはいうまでもない。

 

本書は経済や金融を専門とした新聞記者である著者が自らの娘たちに向けたお金の教科書として連載を行っていたもの。Kindle版が個人出版され、1万ダウンロードされた後、書籍化された。

ストーリーとしては、主人公である男子中学生サッチョウさん(木戸くん)、同じく女子中学生のビャッコさん(福島さん)、そして、先生として登場するカイシュウ(江守先生)の3名が「そろばん勘定クラブ」にて「お金とはなにか」について議論し、理解を深める様を描く。

この「お金とはなにか」という議題は、ぼくを含めた大人は子どもたちに対してどう説明できるかを、深く考える必要に迫られる。

上でも書いたが、その本質について子どもに対して理路整然と説明すること、説明できることは、ぼくにとって大きな課題であり、解決すべきものだ。

また、それは子どもを持つ養育者たちの責務なのだとも思う。

なぜなら、国の教育におけるロードマップを描く立場にいる文部科学省が定める学習指導要領の中に「お金について」教えてくれる教科は存在しないからだ。

新学習指導要領(平成29年3月公示):文部科学省

 

義務教育課程の中で教えてくれないのであれば、高等教育に頼る他ないが、大学に通う段階では奨学金を借りるのか借りないのか。その返済について、否が応でも本人と親が「お金」について面と向かって考えなければならないことを意味する。

しかし、そうなってからでいいのだろうか。

今の日本の中における、いわゆる「奨学金の返済問題」は「お金について」考えていない、もしくは考えることを避けてきたことのツケなのではないか。

しかし、それを取り返す機会は十分に与えられている。

いまでは本書のような本質について深く考察した上で、読みやすく解説してくれる本があるからだ。

カイシュウ先生こと、「そろばん勘定クラブ」の主宰たる江守は元々、銀行家として働いており、リーマンショック以後、足を洗った。「お金のこと」について、実務者としての経験値は非常に高いのだが、いまでは銀行家を忌み嫌っている。

その理由は本書に譲るとして、その江守がお金の本質について語る場面があり、その中で「お金の本質は信用であり、その根底にあるのは共同幻想である」と結論付けている。

お金=信用(約束・信頼)

「お金にはなぜ価値があるのか。それはみんながそれをお金として扱うからです。ただの繰り返しじゃないかと思うでしょう。でも、本質はそうとしか言いようがない。小難しい言葉を使うと、お金とは共同幻想なのです。みんながお金に価値があると幻想をいだいている。だからお金がお金たり得る。幻想ではあるけれど、それこそが現実です。」

あくまでも個人の信用を可視化したもの、もっといえば、代替的に可視化したものがお金だ。

代替的に、とした理由は「信用」も多岐にわたるといえるからだ。銀行からお金を借りる上での銀行取引の信用や、SNSでのフォロー・フォロワーの数も指標となることは社会的な発言における信用と考えることができる。

お金を手にすることを目的にすることは、そのお金の本質を見誤ることを誘引する。なぜなら、あくまでも信用を可視化するツールであり、手段である「お金」を手に入れることを目的化することは、本末転倒といえる。

例えば、奨学金を得ることは高等教育を学ぶという目的があるからだ。しかし、奨学金を得ることが目的になるということは、別に学ぶ先はどうでもよく、とりあえず学ぶためには原資がいるから、ということになる。

もっといえば、家を建てたいと考えたときに、住宅ローンを組むことを目的にする人はいないだろう。「とにかく家を建てたいからローンを組みたい」なんていうのは、本末転倒という他にない。

どちらにしても、第三者から金銭を借り受けることには変わりはないが、そこに必要なのは「信用」であり、その人が抱える信用の歴史(信用履歴)だ。

 

本書もそうだが、お金について述べている書籍は多い。特に、ここ数年は仮想通貨の台頭もあり、法定通貨をはじめとした「お金」について考える機会が増えてきた。

増えてきた今だからこそ、ぼくたち大人は考えなければならないし、子どもたちに伝えなければならない。いや、伝えるために学ばなければならない

その入り口として、本書は中学生の主人公たちとともにお金について考えることができる格好の内容となっている。

少しでもお金について考える必要があると思っているのであれば、本書を手にすることをオススメしたい。

旧Kindle版 おカネの教室 統合版

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旧Kindle版 おカネの教室(前編)

旧Kindle版 おカネの教室(前編)

 
旧Kindle版 おカネの教室(後編)

旧Kindle版 おカネの教室(後編)