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dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

SNSで疲れた人はどこへ向かうのか

SNSで疲れた人はどこへ向かうのか

枕にかえて

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

これをお読みの方の中には過去にSNSで辛い体験をされた方もいるだろう。僕も自身、どうしても精神的にツラかった時期はSNSを見たくないというよりも見れなくなった経験がある。自発的にSNSからの情報を遮断したというより不可逆的に見ることさえできなかったのだ。

ドイツの調査会社・Statistaが発表した「Digital Economy Compass 2021」によると、ネットユーザーが1日にSNSを利用する時間の世界平均は、2020年の145分が2021年には142分に低下した(2021年は第1四半期:1〜3月の数値)。

ソーシャルメディアに触れる人間であれば注意が必要な点はメンタルヘルスに影響がある点をFacebook(現meta)社が社内調査により把握していたことを2021年9月に「Wall Street Journal」が明らかにしているように、生活に侵食していることは確かだ。

では、SNSに疲れた人たちはどこに向かうのか。そもそも何に疲れるのか。完全に遮断することだけでなく、それ以外に場所があるのか。そんなことを考えてみたい。

▶︎ 僕たちはSNSのどこに疲れるのか

そもそも僕たちはSNSやブログなどを含めたソーシャルメディアの何に疲れるのか。

「覗きたくもないのに、ついアプリを開いてしまう」経験がある人は少なくないはずだ。それもそのはずで、ソーシャルメディア関連企業はそうなるようにアプリのアイコン表示や開いたタイミングで表示される通知の仕方、タイムラインの表示などをすべて計算している。

当然だろう。彼らも慈善事業でやっているのではなく営利目的にサービス提供しているのだから、社会的な意義などを創業時に立てていたものの、自分たちのサービスを他のサービスよりも長く利用してもらいたいと考えているし、それが自分たちの顧客に向けてのプレゼンテーション材料になる。

自分がそんな組織の一員だとしたら、ユーザーがどのように動くのかを逐一データ化し、最適な傾向を見出せたなら、全力でその方向へ舵を切る。ほんの些細な違いかもしれなかったとしても、その些細な違いの母数が何億、何十億ものデータが積み重なったものだとすれば大きな価値になる。

そのデータの一端を担っているのは各種デバイスSNSにログインしているあなたであり、僕だ。

このあまりにもデータ然としたサービスは僕たちに最適な情報を届けてくれるが、この最適化されすぎた情報に僕たちは疲れているのではないか。

▷ 最適化されすぎるアルゴリズム

上記した通り、僕たちが何時にアプリを開き、その開いた瞬間から何秒ほどアプリを開きっぱなしにした上でどんな指の動きをしたのか、はたまたどんな内容の投稿に「いいね」や「拡散」したり、コメントを残したのかといった事実としての行動記録がデータとして吸い上げられる。

さらにはフォローしたりフォローされたりといったユーザー間同士の関係を前提にしつつ、出される情報にどんな行動を取っているのか。詳細を開いたけれど一切の反応をしなかったのか。特に詳細を開かずとも「いいね」や「スキ」などの反応をしたのか。

1日の間に何回、何秒アプリを開いていたのか。アプリを閉じてから次に開くまではどのぐらい空くのか。投稿する内容の文字数は...利用するハッシュタグやタグ付するユーザーは一投稿あたりどれほどか...このようにデータ化できるものは全てデータ化され、ユーザー行動は傾向化される。

その傾向化されたデータの中から、少しでもアプリを開いて自社サービスを利用する時間が延長するための「カイゼン」が、もしくはその兆候が見出せるようなポイントがあれば、必死にカイゼンし、サービス利用者にとっての最適化を目指し続ける。

結果として、オススメとして表示される投稿やタイムラインやフィードに立ち並ぶ投稿やアカウントアイコンが各々にとって最適だと思われる「解」をアプリ上やWebブラウザ上で提示し、ユーザー行動がサービスに適応すれば維持し、適応しなければ修正する。

そんなことを繰り返しすのが米国テック企業の日々であり、あらゆるサービスやアプリにおける最適化戦争の実情だ。彼らはビジネスで常にデータに向き合い、データを参照し、データをカイゼンし、常に最適だと思われる解を見出してはガムシャラに走り続ける。

▷ 最適化されるのは自分かSNS

そんなデータの藻屑になっている僕みたいなユーザーも、最適化されるユーザーの一人であり、あなたもその一人だ。

そして、あらゆるサービス変更やアプリ内の表示変更が行われるたびに各種サービス上で「アルゴリズムの変更について」や「最適な表示方法」などを競うユーザーが現れる。

いわゆるインフルエンサーと呼ばれる人の中には、投稿内容やアイコンが注目を集めた結果としてフォロワーが増えたユーザーもいるだろうが、同時にアプリやサービス、ひいてはフォロワーに最適な形で誕生したインフルエンサーも登場している。

政治家でいえば|populism《ポピュリズム》(大衆迎合する政治思想)であるが、自分を自分以外の何かに最適化させて人気者を作り出そうとする行為だが、それを表立って否定することはできない。

それが嫌なのであればサービスを利用しなければいいし、そのユーザーをミュートするなりブロックするなりすればいいだけの話だからだ。

しかし、そんな行動も含めて我々はSNSに最適化されてしまっていると言わざるを得ない。

サービスの提供初期段階ではSNS側がユーザーに最適な形を模索していたのだろうが、今となっては主従逆転し、我々の方がSNSに最適化させられている。開くつもりはなくても開いている状態は、まさに最適化されてしまっていることを示すものだ。

SNSの最適化を目指しているつもりが、実際には最適化させられているだなんて誰が考えるだろうか。あまり疑問に思わないのかもしれないが、インストールしアカウント登録をしたその瞬間から最適化させられ出す。

そこで人気者になり、自分の承認欲求を満たせていると自覚できるのであればいいのかもしれない。しかし、それによって幸福を得られるかどうかは別問題だ。

我々は生活の中でSNSを利用することによって充足感を得ているように感じるかもしれないが、本来は日常を何の不安もなく過ごせる「生活」があるからこそSNSなどの余剰を利用する時間が設けられる。

つまり、本当に大事なのはSNS上で承認を得られるかどうかではなく、実生活が充実するか、その補助的な役割をSNSが担ってくれるかどうかが重要なはず。主役はあくまでも自分自身の体験や体感にあるべきだ。

アルゴリズムから外れるのかどうか

では、そんなアルゴリズムだらけの状態から僕たちはどうやって生活したらいいのか。仮に、いま、あなたがSNSに疲れを感じているのであれば、いっそのことアカウントを削除してしまうことが最も手っ取り早いうえに簡便で永続的な解決手段だといえる。

「いや、それだと困ることも...」なんて感想を抱く人もいるだろうが、根本的にはSNSなんてなくても生きていける。ネットでさえもそうだが、僕たちの生活にネットは十分に普及してしまっていることもあり、ネット接続を断絶することは決して実利的ではない。

その延長にあるSNSでも仕事や交友関係を支える意味では不可欠なほどに存在感を持っているのは紛れもない事実だろう。そうなると、我々はアルゴリズムの呪縛から解放されることはないのか。いつまでもアルゴリズムの奴隷であるべきなのか。

物理的にアプリやサービスを開ける端末自体を避けることを試してほしいと思うのと同時に、これまでの自分とは異なる行動をアプリやサービス上でやってみることも試してほしい。

つまり、これまでの自分とは異なる行動をとることでアプリやサービス側のアルゴリズムから逸脱するようなことをするのだ。

いままでいいねをしていたような投稿には一切の反応も見せず、反対にいいねとは全く思っていない投稿にいいねをする。また、これまでに投稿する内容が自分の愚痴だったのであれば、誰かのためになったり役に立つ投稿を目指して投稿する。

そんな風にアプリやサービス内での行動を変容させると、明らかにおもしろくないことが判明する。そのおもしろくないことを自覚できるということは、それまでに蓄積させてきた自分のアルゴリズムから逸脱する行為を繰り返すのだから当たり前だ。

しかし、それをするからこそアルゴリズムの呪縛から自信を解放することが叶うのであって、もし、それもやりたくないのであればズブズブにアルゴリズムに最適化されることを覚悟するか、完全に断絶するのかのどちらかしかないだろう。

それだけ密接なものになってしまっているSNSとは、相応の付き合い方を覚悟していくべきだろう。もちろん、疲れてしまいすぎない範囲で。

ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

僕が考えるようなことは既に考えて言語化してくれる先人がいるもので、竹村さんの「アルゴリズムを超えていけ」はもっと簡単にゴクゴクと飲むが如くに読むことができる。はっきり言ってオススメ以外の何者でもない。

https://note.com/take/n/n857fd08aad62

アルゴリズム的葬儀って言葉が割とツボだったが、岸田さんって本当に文体が柔らかく、その場に連れ出してくれる。現実に僕はその場に居合わせていないのだが、岸田さんの文章を読み進めると確実に僕は登場人物の一挙手一投足を見れる。すばらしい。

https://note.kishidanami.com/n/n7f2db2509b4d

結局、普段の生活を定例的に動いているのであれば、それは自分のアルゴリズムに自分自身を最適化させている証拠だ。そこから更にカイゼンを重ねると、さらに先鋭化される。それを超えるのか超えないのか。人間だから超えてみたいものだ。

https://note.com/3512552hiro/n/n407d8eca9a56

▷ 本noteに関連する紹介したい書籍

佐藤さんといえばユーフラテスでありピタゴラスイッチなどの生みの親である。ピタゴラスイッチの軌跡に何度も感動させられている僕と同様に感動したことがある人には佐藤さんの『新しい分かり方』をオススメしたい。新しい自分を見出せるチャンスとなるだろう。

 

https://amzn.to/3HAgyIp

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