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【山口揚平】『新しい時代のお金の教科書』を読んだから、これからの時代に準備しようと思う

お金とは国であろうが、個人であろうが信用に依存するツール

最近、ボク自身が投資や金融という分野に対して興味があり、勉強をしていることもあり、お金にまつわる本を読み漁っていることあるのだが、今回の『新しい時代のお金の教科書 (ちくまプリマー新書)』は、タイトルの通り、これからの時代を予見した上でのお金について考えさせられる本だった。

新しい時代のお金の教科書 (ちくまプリマー新書)

新しい時代のお金の教科書 (ちくまプリマー新書)

 

ピカソがお金持ちだった

画家として有名なピカソはお金の本質を見抜いていた天才である、と山口は述べるが、理由は読み進めていくことで容易に理解でき、本書内で触れられているエピソードは以下の通り。

  • 通常の画家が絵を描いたら画商に託すことが一般の中、描き上げたら画商たちを集め、絵におけるバックグラウンドの説明、描く際の心象風景の説明をし、最後に絵を見せる、というプレゼンを行っていた(物語を売っていた)
  • 毎年有名な画家に描かせるワインラベルの絵を描いた際、報酬を金銭ではなく、ワインで受け取り、ワインの熟年年数とピカソの名声の上がり方を計算し、大きなリターンを得ていた(資産投資)
  • 画材や普段の購買活動において『小切手』を利用していたが、自らのサインに価値があることを認識・利用し、通常は店主が銀行へ換金にいくのを行かなかったため、実際には支払いをせずに画家生活を行っていた(市場価値の理解と利用)

 

これらは著者である山口の以下の文言を引用することで、いかにピカソが賢く、お金という抽象的なものを理解していたのかを理解することができる。そして、これが貨幣というある意味ではいい加減ながらも、我々がお金について深く考えていないことを暗に指摘されているような気持ちになる。

 

貨幣の本質、すなわち貨幣とはコミュニケーションのための言語であって、その価値はネットワークと信用であるとピカソはわかっていたのです。

 

本書はお金の歴史から本質、変化、そして未来と『お金』というコミュニケーションツールがどのようにして成立・発展し、現在に至っており、どんな未来に変わっていくのかを時系列に沿いながら、本質について考えていくことになるが、決して難しい言葉で語られるわけではなく、僕のような朴念仁ですら理解できるよう、平易な言葉で語られている。

お金の起源は物々交換ではなく、記帳であった

まず、基礎知識としてお金の歴史に対して踏み込んでいく。ネット界隈ですでに浸透しつつある話題だが、お金の起源は物々交換ではなく、記帳であったとの説明をしてくれる。

 

我々が習った貨幣の歴史は、そもそも「物々交換があり、その不便さを解消するためのソリューション(解決策)として、貨幣が生まれた」ということだったが、全く異なっている。

 

これは、ミクロネシアのヤップ島動かせないほど大きなフェイという石で、そこにナマコ三匹とヤシ一個などを記帳していったということだ。これは「お金」というツールが先にあったのではなく、記帳が貨幣の始まりであり、記録のシステムが先に導入されていたのだ。

 

この貨幣の始まりが記帳ということを踏まえ、山口は貨幣の歴史が一周したと語っている。現在、世界中で24時間取引が行われているビットコインの根幹システムであり、ブロックチェーン技術がある。これについては前回エントリの中でも触れているが、分散台帳システムである。 

 

ちなみに『お金2.0』で、佐藤は中央集権的な資本主義経済から、分散的な価値主義経済への遷移をテクノロジーの進化と評価経済の台頭からお金というツールについての捉え方や、どんな経済システムを選択するのかを問いかけてくる内容だったが、本書については、歴史から未来へ向けての付き合い方、ひいては信用というものについて、深く考察している。

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 そもそも、我々が日々、増えた減ったということに一喜一憂する『お金』というものはなんなのか。上記した記帳システムがその始発、ということは理解できたが、我々が手にしていることが『円』とは、日本という国の信用を担保にし、日本銀行が国から債権を取得した上で印刷し、払い出している法定通貨だ。

 

では、きちんと定義した場合、どんなものになるのか。

お金を定義するならば「譲渡可能な信用」あるいは「外部化された信用」ということになります。(略)母体とその信用、そして信用が外部化されて匿名の存在として流通する、そのことによって人々が自由に分業しながら取引を活発化させる、それがお金の役割です。

 

信用がどこに依存するのか、「円」の信用についていえば「日本政府」がその母体になり、その信用を譲渡可能な/外部化されたメディア(交換媒体)が「法定通貨」、つまり「円」ということになる。

 

ここで山口は『生物種としての人間の強みは何か』を『個性』と『社会性』の掛け算だと述べているのだが、本書内で人間という生物種が生み出した最高のツールであるお金を考える上で、また未来で扱う上で、不可欠な考え方ではないか。

 

相反する概念同士はその掛け合わせで総量が代わり、平易な言い方をすれば実力が変わる。例えば、力と速度、量と質は相反的なものであるが、それを掛け合わせることで、一つの解を得る。

 

そこから山口は一章の結びで“この世にコモディティな人間など一人もいない”としている。その前提として、人生の早いタイミングで自分の個性を見つけ、それを際立たせ、そこから意識のポジションをずらすことなく伸ばしていくことを求める。

 

はっきり言おう、僕は平易な存在だと自覚しているし、悔しいことに仕事という面で見てもうまくいってない。だけど、この一言でどれだけ救われたことか。一般的、普遍的、日用品化といった意味合いのあるコモディティ化という言葉を人間に当てはめることは、まず僕は怖くて思いつかなかった。しかし、それは変えようのある事実であることを山口は述べてくれている。一生を読み終えただけでもボクは一定の満足感を得ていた。

 

お金の価値=使っている人の数×発行している母体の信用

普段、お金について『考えている』人はどのぐらいいるだろう?

 

これをお読みのあなたはいかがだろうか。正直に言えば、僕は考えたことなどあまりない。 下記はtwitterにて山口当人からもらった問いかけに対する僕の答えだ。

 

さて、価値のあるモノというのは、何が根拠になるのか。『使っている人の数×母体の信用』ということなので、日本でいえば、円という法定通貨が世界の中でどれぐらい取引されているのか、ということと、日本という国自体の信用が価値の変数だ。

 

ここから分かることは、貨幣というのは、人が生み出したコミュニケーションツールとして非常に優秀な存在でありながら、曖昧で不安定な存在ということになる。

 

というのも、信用というのは、何を持って測るものなのか、が不確定であり、曖昧だ。山口の説明を借りれば、「(理由を)問い詰められないこと」であり、説明が入らない様や関係性のこととしている。

 

つまり、たった今この瞬間、世界中で取引されている貨幣は幻想であり、イメージという言葉で片付けられるようなちっぽけな存在なのだ。

 

ビットコインをはじめとした仮想通貨の隆盛は日々の報道やTVCMでも多く流れているため、周知する人も増えていることと思うが、仮想通貨も法定通貨も本質的にはそれほど大きな違いがあるわけではないことになる。

 

現実、法定通貨と仮想通貨との現金送料/時価総額を並べた表だが、12月5日の記事になった時点で、並み居る法定通貨の中でビットコイン時価総額において6位に食い込んでいる。他の仮想通貨も同様に17位以下に顔を出していることから、取引を行っている人たちの間では、認識の違いはないことを意味しているのではないか。

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(参照:https://bittimes.net/news/4161.html

 

ここまでの歴史的な流れを、山口は信用母体の変化、もしくは進化としている。

 単なる交換から、貸借になり、そのうちみんなが欲しがる財が通貨となり、それに信用が集中していきます。そこから貴金属等に信用母体が変化し、その後王様がお金を定義する、という流れです。

 モノ(金: Gold)から国へと信用母体が変化したことにより、規模が一気に拡大することになり、貨幣に量的な変化が生じ、強制的な拡大が可能になった。それと同時に、本質的な問題を抱えることになった。それは“文脈の毀損”だ。

 

山口は他にも課題をあげているが、最も本質的な問題、課題として文脈の毀損をあげている。文脈というと、文章の合間とか意図とかということではなく、我々の感情や意識、社会における関係性など、数値化・単純化できないものを指す。

 

つまり、我々の感情や意識、友人や家族関係なども、お金という存在によって毀損されかねないということを物語っている。上でも見てきたように、お金はただの数字である。しかし、そのただの数字が人々の生活を苦しめる要因になっていることも否定できない。

 

それでは、お金というツールを発行できるのは国だけなのであろうか。そうではない。

 

個人でも十分、発行する機会には恵まれている。現在、世の中には株式市場というものが存在する。その中では、企業を株式、つまり紙切れを何枚発行するかを決め、それを求める人々に対して配り、その企業の価値によって、株式価格が変動している。

 

現在では、以下のVALUやTimebankといった、個人の株式化、個人の時間の売買をできるサービスがローンチされ、すでに多くの利用者数を得ている。

VALU | だれでも、かんたんに、あなたの価値をトレード。

タイムバンク - 時間を売買できるアプリ

信用を得ることができるのであれば、個人で個人規定の『お金』を発行できるのが現状ということになるが、信用を集めるためにはどうしたらいいのだろうか。

 

お金を構成するのは「信用」と「汎用」

上では、信用について「説明不要なもの」としていたが、もう少し噛み砕いた説明が入る。信用とは、価値の積み上げで形成されるものだ、と。そして、価値、そして汎用について数式化したものが以下である。

  • 価値=(専門性+確実性+親和性) / 利己心
  • 汎用とは、信用の適応範囲であり、広さ×深さ

 なんとも素敵な式だ。

個人的に、お金というものを因数分解し、そのものについて深く考察している本書は手にとって良かったと痛切に感じている。上で見たきたこともさることながら『価値とは?』『汎用とは?』に非常に納得し、溜飲が下がる思いがした。

 

そして、この数式を利用することで、個人での株式(通貨)発行について、なんら難しいことではなくなる。そして、過去がそうだったように、たった今、信用母体が進化している真っ只中に我々は位置していることになる。

 

なぜそんなことが言えるのか。決して難しいことはなく、SNSを思い浮かべれば良い。Facebookの世界中のユーザー数はMAU(月間アクティブユーザー数)で20億人*1となっている。

 

一ヶ月の間に20億人がログインし、何かしらの行動をとっているということだ。

 

論点としているのは、個人の株式(通貨)発行が可能か、だが、Facebookというプラットフォームの中で活動する人が20億人もいる。日本の人口は1億3000万人だ。ここで一つ言えることは、すでにFacebookは一国の領域を超えてすらいるということだ。

 

プラットフォームという枠組みの中で、確かにその中で人々は行動しているという点において、日本であろうが、Facebookであろうが違いはない。

 

人々はその中でコミュニティを作り、金銭のやり取りを行うことも可能だ(日本においては、17/12時点で一部の人間にのみ解放されている)。コミュニティの中で、しっかりと“価値”を提供できるのであれば、その中で自分株式を発行し、そこから金銭を受け取ることもできるのだ。

 

そこで、大切になるのが、文脈ということになる。その価値には、どんな履歴があり、これからどんな風になっていくのだろうか(それに携わった自分は何が変わるのだろうか)、その提供者であるあなたはどんな人で、受け手とどんな風に関係を築いてきたのか...。

 

という、文脈で語られ、そこに自らの人生における内的・外的な価値を見出した人が『お金』という形で対価を支払うのだ。これを山口は文脈価値と語り、文脈価値とは時間の連続性と他者との一体性の複合体だとしている。

『人々が求めているのは生きるための機能ではなく、つながりや物語だということです。

このことは、資本主義社会の中だけでは完結できなくなっている。資本経済下では、結果的に大量消費社会を生み出すことになるが、現状、日本を含む先進国ではマネーが動かないことと、消費自体の減少とが相成り、大きな消費を国民に求めることができる状態ではない。

 

多くの人は生活必需品をはじめとするモノにはすでに満たされており、それを買うためのお金も企業内で止まっており、広い意味での市場に出回っていない状況の中で、人々は何でもかんでも買いたいわけではなく、自分の価値に沿った、自らの文脈に沿う対価を払うことへとシフトしている。

 

また、山口は文脈価値が広く浸透することによって、稼ぎ手の主体が変化することにも触れており、女性が男性よりも稼ぐ時代になると述べており、理由は、ヨコ社会が訪れることによるパラダイムシフトが起こり、支配と依存×ロジックによる男性的な稼ぎ方が終焉し、(憧れと共感)×感性という女性ならではのヨコ社会型の稼ぎ方が求められるからだとしている。

 

 

ロジック、つまり再現可能性を強く求める姿勢はAIに勝てないからだ。ロジックが必要だったのは、あくまでも必需品であり、独自性を求めない衣食住を満たす領域においては有効であったが、承認欲求を根本とする文脈価値には常につながりや物語といった文脈が求められ、それはロジックでは得ることができない。

 

 資本主義経済⇒時間主義経済⇒記帳主義経済⇒信用主義経

現在、我々は資本主義経済下に身を置きながら、次なる経済主義への変遷期に位置する貴重な時代に生きているのかもしれない。

前回のエントリで、佐藤航陽は資本主義の次に価値主義がくると述べたと紹介している。

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 そこでも信用というものが厳選となり、その価値を人々が求めていくとしていた。

山口はさらに細かくしており、これから一つひとつ説明していく。

 

時間が通貨として存在する経済主義のことを指す。この経済主義は、人の欲望が生存⇒社会的欲求(承認欲求)へと変貌していることから発生することが避けられないものであり、貨幣によって購入することが難しくなる。

 

貨幣は、文脈を毀損するコストを抱えていることは上でも述べたが、それは感情や意識、社会的関係性などを数字という無機質なもので扱うことになることからだ。

 

そこで、なぜ時間なのか、ということについて山口は、時間は個人が発行できる最大の汎用言語である数字であることによって、最高に有益な通貨としての地位を担保できると述べ、新しい通貨(Time: t)の可能性も示唆する。

  

ブロックチェーンについては、分散貴重システムだと述べたが、より普及した先には、もの同士を貨幣を介さずに交換していく世界になるだろう、というのだ。

 

再三、ブロックチェーンについては述べてきたが、ブロックチェーンは個人に付与されるアドレスで台帳へ記帳され管理するシステムだが、これは改ざんが不可能だ。

 

台帳を改ざんするためには、その大元となる台帳から遡って、追っていく必要があるため、改ざんをしようとするコストよりも、適切に取引した方がコストが掛からない。

 

生活必需品にはそれほど、価値を感じなくなってきている人たちは、それぞれの文脈に沿った価値を提供してくれそうなコミュニティへと足を踏み入れ、その中でモノ同士を交換するようになっていくだろうというのだ。

  • 信用主義経済『みんなが信用を求めていて、それを信用でやり取りする世界』

最後の信用主義経済では、手段と目的が信用で統一されている。つまり、皆が求めるものは全て承認となっており、承認を満たす行為や話題などに対し、承認によって支払いが済まされる世界だということだ。

少しイメージがつきづらいが、この世界では貨幣によるやり取りは一切生じないことが想像できる。

まとめにかえて

 

 まず、随分と長く、そして引用が多くなってしまったことを反省する。しかし、本書は新書でありながら、その内容は決してそこに留まることはなく、深く広いものであった。

 

シンギュラリティや評価経済*2について、考える上で、貨幣がどうなっていくのかについてモヤモヤしていたのだが、お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)と本書に出会ったことによって、大きく前進した。

 

これからの時代では、個人の(資本的・資産的な)価値を高めることで信用を手にし、ネットワークを構築することで幸福へと繋がって行くのだと感じた。

 

もちろん、価値を高め、一定数の人たちから承認を得ることが決して簡単ではないことは理解しているが、それでも試行錯誤を繰り返しながらやり続けることに価値につながり、それが文脈になるのだと信じている。

 

最後に、著者である山口が読者に伝えたいこと、として3つほど提起しているので、それを記載し、結びとする。

著者が読者に伝えたいこと

  1. 資本や貨幣を否定することは無価値であること
  2. 有機物の発見と創造に尽くすこと
  3. 生活経済において有機・無機の調和を心がけること
新しい時代のお金の教科書 (ちくまプリマー新書)

新しい時代のお金の教科書 (ちくまプリマー新書)