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【佐藤航陽】『お金2.0』を読み、お金というよりも経済の流れに身を委ねることを決めた?

達観した物見をする著者

前著を読ませてもらった際にも感じたが、イマイチ納得のできる表現が思いつかなかった。しかし、今回、本書を読ませてもらったことにより、明確になったのが、佐藤航陽という人は達観している、ということだ。

書評として、というよりも、本書を少しでも読みたくなってもらえれば、と思い書いて見た。

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

 

 世界中で起こる分散化

まず、断っておかなければならないのは、本書はタイトルこそ「お金2.0」となっているが、お金というツール自体に意味を見出し、「新時代における通貨の説明」をする本ではない。

お金、つまり通貨はあくまでも価値リソースを表現するのにちょうどいいツールだという程度だ。

なので、そこを間違って汲み取るべきではないことと、お金が中心となる社会というのは、今後来ないとかんがえられる、その理由は...という代替論として、ちょうどよい言葉、表現が「お金」だったということ。

 

大なり小なりすでに起こっている分散化の世界

現在、世界は分散化というキーワードの元に、大きなうねりを作り出している。

英国でのBrexit騒乱、米大統領ドナルド・トランプ氏が就任、スペインのカタルーニャ州独立運動など、これまでの中央集権的な思考やシステムに対し、反発をする動きが見られる。

その中でも、今年にかけて20倍以上の値動きを見せている仮想通貨Bit Coinについても、お金の分散化という意味で言っても、注目を集めている。

そもそもBit Coinとは、サトシ・ナカモトという(正体不明な)人物が暗号理論のメーリングリスト*1に電子暗号通貨ビットコインの論文を発表したところから端を発している。

ブロックチェーンという技術を応用して作られており、簡単に言ってしまうと、その技術は記帳システムであり、一定数の取引を1ブロックとして規定し、その取引履歴を個々人のアドレスに記帳していく事になる。つまり、ブロックチェーンは中央で管理する管理者は存在しない。

今後、分散化がドンドンと加速的に増えて来ることによって起こることは、仲介者や代理人という存在が全く不要となることだ。つまり、P2P(直接本人同士)で物事が解決し、流通して行くという流れになるということを意味する。

 分散化の先

貨幣的な機能が分散化された先にあるのは、経済の主義における変遷が起こる。

つまり、現在のグローバルな世界で周知の事実である『資本主義経済』が次のステージに移ることになる。佐藤は資本主義経済の次のステージは『価値主義経済』だと述べており、その説明を引用する。

価値主義ではその名の通り価値を最大化しておくことが最も重要です。価値とは非常に曖昧な言葉ですが、経済的には人間の欲望を満たす実世界での実用性(使用価値・利用価値)を指す場合や、倫理的・精神的な観点から真・善・美・愛など人間社会の存続にプラスになるような概念を指す場合もあります。

ここで注意しなければならないことは『既存の資本主義における価値』と『価値主義経済下における価値』とは似て非なるものである、ということだ。

資本主義経済下における価値の中に、人のエモーショナルな部分、つまり、感情を価値とする指標はない。(正確にいえば、それを価値として換算する機能を有していない)

ということは、人の感情を豊かにするもの、精神的に満足するもの、など、一重に評価が個人に委ねられるものの価値が高まっていくことを示している。

再度確認しておくと、あらゆる通貨などを中心とした社会的な機能が分散化し、個人でのコントロールが可能になると時を同じくして、これまでの資本主義では充足できなくなった人類は、次のステージ、価値主義への足を踏み入れることになる。

個人へ価値の判断が委ねられるということは、これまでの評価軸、中央集権的システムではなく、分散化された先にある個々人が評価軸として機能することを意味し、個人の信用が前提となる。

 つまり、個人の信用に基づいて価値評価され、その価値観に基づいたグルーピング、つまり経済圏が生まれることになるし、さらにはその経済圏をどう運営していくのか、というKnow-Howを多く持っている人物こそ(あらゆる商圏において)“価値の高い”存在になる。

なんだか難しく書いてきたが、簡単にいえば以下の通りだ。

  • 経済が資本主義が終わり、価値主義へと変遷する。
  • 資本主義の終焉に伴い、法定通貨が徐々に力を失い、仮想通貨、それよりもっと分散化したものになる。
  • 価値主義経済下では、価値を下支えする『信用』が重要

『資本主義経済が終焉?そんなバカな...』と疑い深くなるのも理解できるが、先進国は過去のエントリで紹介した『人工知能は資本主義を終焉させるか』でも触れているように、資本主義経済下では企業の蓄積資本が多くなっている事に伴い、動くマネーの総量自体に変化がない。

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 そこに上乗せし、生活するための需要というものが一定度の満足度を得られているため、物欲自体が低下する。つまり『ないものがない』ため、買いたい物が総じて少なくなっている状態という事だ。

先進国が抱える、比較的満足状態に強いられた人々が抱える不足感という現状に対して一石を投じたのがSNSの隆盛における“承認欲求の顕在化”と言える。SNSが明らかにしたのは、実在する人物でも虚構的な存在だとしても、そこに存在するアカウントを個々人の価値観に基づいたフォローやフォロワー関係が構築できるということだ。

これにより、大きな組織を無条件に信用するのではなく、たとえ小さな組織、個人であっても、そこに共感や好意といった個人的な感情に上乗せされた『価値』を認識することが出来れば、その情報を追随し、さらには支援することが可能になった。

あらゆる境界線がなくなって行く世界

これまでは企業同士、もしくは組織同士での間でしか起こすことができなかった『お金』を動かすことが個人にもできるようになってきた。(もちろん、個人で行うことが全く不可能だったとは言わない。) 

佐藤はこれを、市場経済と民主政治の定義を確認した上で、市場経済は“人間の欲望を刺激し「より良い生活をしたい」と思う仕組みを支援する仕組み”民主政治は“全体の不満の声を吸収し、全員が納得できる意思決定を目指す仕組み”とし、以下のように述べている。

「価値」という視点で見ると、明確に区別する理由がなくなります。(略)市場経済が苦手な領域を民主政治が担い、民主政治が苦手な領域を市場経済に委ねる、といった具合です。これを価値という観点から捉え直すと、経済と政治はアプローチが違うだけであり、2つは同じ活動として分類することができます。 

この先、経済と政治、営利と非営利など、これまで明確に分けようとしていた(分かれていた)ものの壁が取り払われ、境界線というものがなくなって行くということだ。

これまでは情報の非対称性などを利用し、そこに資産的な価値を見出し、活動していたことが非難され始め、社会的な意義を前提に事業を進めることを求められるようになって行く。

そこには金融資産を転がす事によって名声を得ていた資本家や資産家だけではなく、多くの人を集め、誘導し、経済圏を作ることができるソーシャルキャピタリストの台頭が考えられ、これまでの法定通貨を国が印刷し、配布することと、個人が個人の価値を分散化し、それを譲渡する事に差異がなくなってきた。

これによって次に起こるのはお金のコモディティ化だ。

お金のコモディティ化

コモディティ化というのは、同質化や一般化、普遍化するという意味であり、お金というものの価値に高低がつかなくなって行くという事だ。

d.hatena.ne.jp

ベーシック・インカムという制度がフィンランドをはじめとした、自治体やNGOなど10あまりの国や地域で実証実験を行っている。(ご存知ない方は、以下のリンクをご参照いただきたい。)

www.nhk.or.jp

汎用型人工知能の登場によるシンギュラリティが多く話題になることが増えているが、労働が駆逐され、仕事が残った時、働くということを選ぶ人と、選ばない人が存在してくる事になる。

その際、それぞれの人(働く人、働かない人全ての人)に一定の金額を配布し、差別をなくした状態を目指すのがベーシックインカムだが、これが実施される事によって、お金の価値が陳腐なものになる。つまり、コモディティ化する。

資本主義経済下であれば、その多寡によって、人生の価値が上下していたが、価値主義経済においては、それぞれがお金以外の価値を多く見出し、そこに対して没頭して行くことが前提になっているため、それほど大きな問題にならないだろう。

繰り返しになるが、以前のエントリーにある『人工知能は資本主義を終焉させるか』の中でエネルギー問題が解決される事によって、ありとあらゆるコストが無くなり、衣食住に関しては0コストに近づく事に触れている。

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それでは、我々は何をモノやサービスの対価として支払う形になるのだろうか。

そこで佐藤は『時間』が通過として成立して行くと述べる。

時間が通貨や資本として良いのは、経済の「新陳代謝」という点で優れているからです。経済システムが衰退する原因は、新陳代謝の機能が失われて階層が固定化してよどんで行き、活力を失っていくためです。

もし、お金が時間の経過とともに消えて行くとしたらどうでしょうか?どうせ貯めておけないで消えて行くのであれば、リスクを取ってやりたいことをやろうとすると思います。時間そのものが通貨だった場合には、保存できない上、どうせ使わなければ自然消滅するので、これを使って何をしようと考える人が増えるはずです。

 

資本ではなく価値に着目する

 本書の中で、佐藤は一貫して、現在の資本主義経済下で行われている商取引をある程度肯定しながら、あくまでも『価値』の優位性を語っていた。これは、実際に事業を行なっている中で、常に仮説と検証を繰り返している佐藤が、行き着いた一つの答えだ。

 そして、その答えは現実を帯び、僕たちの生活の中で確実に息づいている。

まだ起こってもいないことを心配するのであれば、少しでもワクワクしていた方が個人の価値としての有用性が高い。

今後、脳と脳とを繋いでコミュニケーションを図ることが可能になるだろうし、脳内のデータをクラウドコンピューティングにバックアップを取ることも可能になるかもしれない。

そうなった時、僕が僕であることを誰が証明してくれるのか。それは、そこまでに築いた信用関係であり、信頼関係だろう。

どんどんと機械ができることを増やす一方、僕たちはできることが減って行くのかもしれない。その時、少しでも社会に取って、周囲の人たちにとって、必要な存在であれたら、それは僕の生きる理由になるのではないか。

いつまでも古臭い流れに乗っているのではなく、新しい流れに乗る勇気を出し、踏み出して行くことで、自らをアップデートできるし、それを続けて行くべきだ。

本書を読み、お金というものに対して、というよりも、改めて、今後の主義経済、そして技術などにどうやって乗って行くのかを常に考え、委ねて行くことを決めた。

 

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

 

 

 

*1:2008年、metzdowd.com内の暗号理論に関するメーリングリスト