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dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

【橘玲】『専業主婦は2億円損をする』は専業主婦を否定したいわけではない

人生をもっと上手く生きるための提案 

専業主婦は2億円損をする【期間限定 無料お試し版】

専業主婦は2億円損をする【期間限定 無料お試し版】

 

 

本書は以前書いたエントリーで紹介した『幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』を若い女性用にカスタマイズされた内容になっているが、本書から読み進め、上記を読む事で理解が進むことは間違いない。しかし、本書のみでも十分に充実した内容となっており、きちんと読み進める事で、示唆を受けることは可能だ。 

 

著者である橘玲は(ボクが勝手に判断するに)基本的に数字とファクトとロジックを織り交ぜ、現状の社会に対して不満を抱く人たちに寄り添いながら、ルールの中で、上手く生きることを示唆するのが著述のスタイルだ。そして、実際に本書内で橘は以下のように書いている。

理想の社会などどこにもありません。ここで提案しているのは、世の中がまちがっているということを前提としたうえで、どうすればあなたが幸せになれるのか、ということです。  

 

そもそもの著者の書籍を読んだことのある人であれば『否定⇒現状分析・把握⇒提案』というフローを想像し、内容を自らに生活に落とし込んでいく術を考える機会を提供してくれることを理解しているだろう。

 

本書のタイトルも、例のごとく、アンチテーゼとして受け、その主張を吟味しながら理解をしていくことを前提にされていることは読者であれば何も問題はない文言だったと思う。

 

しかし、今回の想定とする読者層では異なった反応が起こる。

 

タイトルだけで内容を判断し、否定されたと受け取る人たちが各種サイトで多くのコメントを投稿し、半ば炎上している現状を鑑みて、期間限定で電子書籍版が無料配信*1となった経緯からも、その反響の大きさを物語っている。

コメント:専業主婦は2億円をドブに捨てている

「専業主婦」が2億円をすでに損している理由 | 家計・貯金 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

子どもを産んだ瞬間から差別が...

我が家の現状に目を移してみると、我が家はダブルインカム、つまり共働きだ。専業主婦という選択肢は、我が家の家計的にも、相互のやりがい的にもありえない選択肢だった。

 

何よりも、我が家ではボクだけでなく、奥さんも働きたい・社会貢献を自分なりの価値観として果たしたいという希望を抱いていたこともあり、専業主婦という選択肢は必然的になくなった。

 

そして何より、ダブルインカムであることが精神的な安定につながっていた。つまり、ボクの収入だけでは不足というか、不安だったのである。金融資産という観点で見た時に、我々には圧倒的に日本円という現金が必要であったことは否めない。

 

また、それぞれに志した“仕事”を行うことで、少なからず自己実現を果たそうとしていることは全くもって否定しないし、今でもそうやってもがいている。そして何より実感することは、103万の壁や130万の壁なんてものは、ダブルインカムを果たしてしまえば取るに足らないものだということが実感だ。

 

そして、何よりも実感を持って体験しているのが、下記引用部分だ。

一見男女平等に見えても、「女性が子どもを産むと“差別”を実感する社会」なのです。 

女性が子どもを産むと差別を実感する社会、というのは滅私奉公を求める日本の会社における評価のことだ。長時間労働サービス残業、昇進のため、もしくは生活のために残業をする人が評価されるという本末転倒な軸が存在し、それが出来なくなる「子ども」を産んだ女性は、マミートラックという「ママ向け」の仕事を用意される。

 

これは第一線で働く社員から子どもが生まれた瞬間に二級社員扱いを受けるわけなので配慮という名の差別ということになるが、それを優しさとして認識している。つまり、「子どもがいるうちは大変だろうから、簡単にできる仕事を...」といった具合に。

 

これは、そもそも前提が長時間労働サービス残業が織り込み済みの働き方になってしまっていることに端を発してしまうわけだが、それは上でも述べたように、滅私奉公する人間、つまり、長時間勤務とサービス残業をする人間が頑張っている人間であり、そういう人間を昇進させようとしている会社が少なくないからだ、ということになる。

 

結果的に、いくら働きたいと考える女性であろうと、忠誠心を示す「時間」を提供することが出来なくなると、2級社員扱いされてしまい、給与も減り、昇進も望めない。ドンドンと追いやられた結果、退職を選ばざるを得ない。

 

つまり、日本の会社は「出産をする女性」までは男女で差をなくすことはできているが、出産をした瞬間から差別をしてしまう、という構図を図らずも構築してしまっており、改善が図れていない、というのが実情だ。

 

専業主婦は子育てに失敗できない

子どもを産んだ女性が会社からフェードアウトし、”結果的に”専業主婦を選んだとして、待ち受けているのが男性の帰りが遅く、子育てを一手に引き受けることで、家事と育児を行うのが勤めとなってしまう。

 

子どもへの責任を一手に引き受けなければならない母親は、少子化の波を受け、『絶対に失敗の許されないプロジェクト』として子育てを担う存在になってきた。

 

以前のエントリでも記載したが、保育の質や親が子育てをする重要性について考えている人たちとTwitter上でやり取りをしたが、そこでも(望んで)専業主婦になっていた人たちは、保護者たる親が責任を持って子どもを育てるべきだ、という意見が強い人の姿が多く目についた(というか、そういう人しか入ってこなかった)。

 

『保育園義務教育化』を読んだら、まずは親の幸福感だと感じた - {DE}dolog

 

働くことを望む母親がいる、という話をしたとしても「経済優先で物事を進めてきたことで、保育現場に起こってはいけないような事態が起こっている」とも述べていた。子どもが犠牲になっている、という趣旨だ。

 

少し横道に逸れてしまったが、本気でそういったことを心配し、自らの手で子どもを育てることこそが“善”であり、広めるべき認識なのだ、という正義感を持つ人たちもいる、ということを理解してもらいたい。

 

しかし、その様子はまるで、強迫観念に迫られているかのような姿勢が現れており、そこまで背負う必要があるのか、ボクはそのやり取りを重ねた時には判断がつかなかったのだが、とにかく、背負っていることは理解できた。

 

そして、専業主婦を望まなくともなってしまった人たちは、その圧力に屈しそうになりながらも耐え、旦那の帰りが遅いことにも理解を示し、子育てをするという役割を放棄することは認められない環境に身を置いているのだ、ということも理解できた。

 

果たして、子育てが失敗のできないプロジェクトなのだろうか。

 

現在、自分が子どもと関わっていて痛切に感じるのは「わからない」というのが正直なところだ。たとえば「三つ子の魂百まで」なんていわれるが、生まれた瞬間から性格なんてものは決まっているのではないかと感じるし、何をどういったところで、こちらの思惑通りの行動なんて取りようがない。

 

本書内で、ジュディス・リッチ・ハリスの『子育ての大誤解』を紹介し、『絶対に失敗のできないプロジェクト』である子育てに懸命になる母親を救済しようとしている。

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

 

以下、引用する。

2人の子ども(実子と養子)を育てながら研究を続けていたハリスは、それまで誰も気づかなかった疑問を抱きました。

アメリカやカナダのような移民国家では、英語を話さない国からたくさんの子どもたちがやってきますが、すぐに流暢に英語を喋るようになります。

「学校で英語を学ぶのだから当たり前だ」と思うかもしれませんが、就学前の子供の方が言葉の習得はずっと早いのです。親が母語で話しかけても、子どもが英語で答える家庭は珍しくありません。

でもこれは、「親の子育てが子どもの人生を決める」という常識からは、全く説明できないことです。子どもは、最も大切な親との会話の手段を捨ててしまうのですから。

その理由は一つしかない、とハリスは考えました。子どもには、親との関係よりはるかに大切なものがあるのです。それは「友だち関係」です。

 

移民国家では、家庭内と家庭外で言葉が異なるということが平気で発生する。その状況で、子どもは親とのコミュニケーションではなく、友だちとのコミュニケーションを優先させるということであり、それは子どもなりのサバイバル術であり、のけ者にされてしまうことをどうにかして避けなければならないからこそ取る行動ということだ。

 

自らを振り返れば、なんのこともない確かにその通りなのだが、子どもは『友だち関係の中で自分の「キャラ」をつくる』ことで、成長していく。その過程に親が入り込む余地はない。厳密にいうと入り込めない。入り込みすぎることは、自分の子どもがのけ者になってしまう可能性を助長してしまうことにもなりかねない。

 

つまり、著者である橘がいいたいのは、『成長の過程にかかわれないのであれば、成功も失敗もない』と語り、『絶対に失敗のできないプロジェクト』ではない上に、すべてを背負いこむ必要はないということだ。

 

みんなが幸福になる方法はないが、あなたが幸福になる方法はある

橘が一貫して主張しているのは、幸福を求める権利は誰にでもあり、それを行使するためには、現状の社会や会社に文句をいっても変わるまでに時間がかかる上、それを待っている間に消耗してしまう。それを避けるために、ルールをうまく活用しようということだ。

 

それを表しているのが、冒頭の橘の言葉だ。『理想の社会なんてないし、世の中は間違っている。間違っていることを前提とした上で、あなたが幸せになる方法を模索しましょう』という、幸福を求めるための働き方を提案することだ。

 

ここまで書いてきたように、橘は専業主婦という存在を否定し、闇雲に働けといっているのではなく、現状の社会的な問題や課題を挙げた上で、報われない『専業主婦』という立場を取らざるを得ない人たちに、手を差し伸べているだけなのだ。

 

ぜひ読んだ上で、自身の幸福について考えてもらいたいと思う。

専業主婦は2億円損をする【期間限定 無料お試し版】

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*1:AmazonKindle版が1月9日まで