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ドイツはライプツィヒからの帰国 その3

今回は写真を交えながら僕がお邪魔したライプツィヒという街を紹介したいと思います。



ライプツィヒは、ドイツに16ある連邦州のうちの1つで、1990年のドイツ再統一により加盟した新連邦州(5つ)の1つである「ザクセン州」の中の一都市です。州都はドレスデンですが、ザクセン州の中で最大の都市はライプツィヒで、人口は約52万。このザクセン州というのは、ドイツ東部に位置し、その東はポーランド、南はチェコと接しています。



上でも触れましたが、ライプツィヒザクセン州の中で、州都であるドレスデンを抜いて人口的に最大の都市で、旧東ドイツ地域ではベルリンに次いで2番目に大きな都市です。

ベルリンの壁崩壊、引いては東西ドイツ統一の端緒となった住民運動発祥の地だそうで、また、余談ではありますが、ドイツサッカー協会発祥の地で、1900年にライプツィヒで設立されました。



そして、ライプツィヒの街を一言で言い表すならば、“文化の街”でしょう。ライプツィヒにある聖トーマス教会は、近世においてドレスデンの聖十字架教会と並んで北ドイツの教会音楽をリードしてきた存在であり、聖トーマス教会にはバッハなど高名な音楽家が多く存在しました。また、1539年にはマルティン・ルターが新教布教の為に聖トーマス教会で説教を行った、とされています。



 ライプツィヒはまた、見本市によって発展した商業の都市で、本の都市としても発展した歴史を持ち、15世紀末までは外国の印刷業者や書籍商などにより印刷物が持ち込まれましたが、1481年にライプツィヒでも本が印刷され始めました。

1530年までに1300種類もの本が出版されたうえ、1594年には見本市のカタログまで出版され、1650年には【世界初の日刊紙】がライプツィヒで登場するなど、今日においても書籍の街で有名。

 「荒城の月」で有名な滝廉太郎も1901年(明治34年)4月に日本人として2人目のヨーロッパ留学生としてライプツィヒ音楽院(設立者メンデルスゾーン)に留学したそうです。



ヴェートーベンの「第九」の歌詞は文豪シラー(1759-1805)がライプツィヒに滞在した頃、郊外の、ある館で書いた「自由讃歌」が元となっていて、フランス革命直後ラ・マルセイエーズのメロディーでドイツの学生に歌われていたことから、シラーはその詩を「歓喜に寄せて」に書き直した。これをヴェートーベンが歌詞として1822年-1824年に引用し、書き直したもの。

 また、シラーとも交流を深めたゲーテの大作「ファウスト」(手塚治虫も「ファウスト」を書いているが、題材はゲーテの作品)の中に“アウエルバハの酒場にて”のシーンが登場するが、当時ライプツィヒ大学法学生だった頃に通った居酒屋を題材としており、現在も高級レストランとして現存していました。

遠藤涼介のブログ-ゲーテ 2

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 またライプツィヒにはヨーロッパ最大の床面積を有するライプツィヒ中央駅があり、ドイツ東部交通の要所となっているそうです。調べたところによると、この駅では1日700本以上の列車が発着しているそうで、ベルリンやミュンヘンといった国内各主要都市に乗り換えなしで行く事が可能となっていました。市内も路面電車多くの路面電車が走っている事から交通の便は良好で、尚且つ各電車も確実に時刻通りに発着されており、時間に正確な生活を送ることが可能でした。



 1813年にはナポレオン戦争中最大規模の戦いとなった諸国民の戦いが行われたそうなのですが、ナポレオン1世率いるフランス軍19万と、プロイセンロシア帝国オーストリア帝国・スウェーデンの連合軍36万が激突する舞台となったそうなのですが、ライプツィヒ郊外には、その「ライプツィヒの戦い」100年を記念して1913年に欧州最大の石造モニュメントが建築されたそうで、未だに存在しており、それがこの写真です。

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ドイツの統一後は、旧西ドイツ側の企業も進出して、最近ではポルシェやBMWが工場を建設し、話題となったそうです。

この辺りは、現在、ユーロ圏の盟主となったドイツの経済状況がライプツィヒという街の中でも感じられる所で、非常に旧東ドイツのライプツィヒとベルリンぐらいしか行っていませんが、ドイツは今、勢いがあり、元気です。というのも、ライプツィヒは正直に言えば田舎町ですが、現地に行くとそれを感じさせない様な勢いを町全体から感じる事が出来ました。

あ、そうそう。

経済の話をしたので、ドイツの社会事情をお話したいと思います。

日本では“おもてなし”、(僕の中では)自己犠牲を払いながら、他人の幸せを創造しようとする姿勢をどの商売でも当然のように求められますが、

ドイツでは、働いている側に主導があるように感じる事が多々あります。というのも、自分のしたい事をして得る幸せの延長上に人の幸せがあればいいかな、という程度だと言う風に感じました。

この辺は、働く側に(言い方が難しいのですが)きちんと人権や権利があり、不要だと感じる義務を全うする事は個人の権利の侵害だとする国民性が出ているように思うのですが、この辺は「カロウシ(過労死)」がドイツにはほぼ無関係だという話を聞いて非常に納得できました。



次回はライプツィヒ大学の歴史について簡単にご紹介したいと思います。

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