ドイツはライプツィヒからの帰国 その19
今回は前回の「動画学習」からの続きで、「動作学習の教授法について」触れてみたいと思います。
今回の内容もDr.Hartmanが担当して下さっています。
ここでは、前回の運動学習からの発展として、動作学習の教授法について触れていきたいと思います。
“教授”する方法ですから、指導方法とも言えると思います。
まず、動作を行う以上はそこに動作イメージが必要になりますが、そのイメージを選手側に伝える際に用いられる方法として、実際にデモンストレーションやビデオ、口頭での説明、など、色々とありますが、それは“ゴール”までを示すとも言い換える事が出来るかも知れません。
つまり、どのような形になるとゴールだよ、と提示する事が課題提示であり、それをそつ無くこなす事を目指すのが動作学習やスキル習得である、と。
動作学習やスキル習得における主要ステップを挙げるとすれば「習得・改善・安定化(→自由化)」という過程が考えられます。
この過程は、多種多様な動作を身に付けた上で、(動作の)精確性を高めていく、という(簡単に言ってしまえば)量から質への転換を行っていく“習得練習”を繰り返す事を指します。
その習得練習は、段階を経た上(軽減された条件→通常条件→変容条件→試合近似条件)で実施されていくべきなのですが、それを補助し支え、より習得しやすいようにするのが、前回で説明した「運動能力と可動性のレベル向上」と、上記で触れたイメージの部分「動作イメージの精密化・最適化・細分化」です。
この二つが習得練習という大きな柱を挟み込む形で支える事で、効率的な動作習得を行う事が可能であり、このプロセスを理解して指導に当たる事が、動作学習やスキル習得を目指す上では必要である、という事です。
また、それをハルトマン博士の言葉を借りて表現するならば…
「前提条件が最適化されてくる事で、最適に実現された目標動作を習得できる」
という訳です。
それでは、上記のことを踏まえた上で、実際の教授法に移って行きます。
まず、方法として挙げられるもので良く知られているのが、「全習法」と「分習法」です。
全習法は、動作の全体構造を壊さずに行う習得方法であり、分習法というのは、ある一部分にフォーカスする事で難度の高い動作理解が促進される習得方法です。
例えば、反復横とびをもっと上手に習得しようとした際に、実際にその動作を行いながら良くしていくのが全習法。
切り返しの場面を切り取って、または、切り返さない中間のステップを行う際の重心移動を上手にするなど、細かく各局面を改善していくやり方が分習法。
勿論、それぞれで指導者側の教え方も変わります。
全習法は、文字通りに指導は全体的な教え方になりますし、分習法は細かい部分にフォーカスするので、分析的になります。
運動全体としての組織効率(部分と部分の繋ぎ目が連続的に行われるかどうか)を考えるならば、全習法の方が高くなりますし、複合性(部分動作を漸次的(次第)に構築していけるかどうか)という事で言えば、分習法の方が優位になります。
しかし、一つ付け加えるならば、全習法は「難度の低いもの」の習得に向いていると言え、その理由は、動作が複雑になればなるほど部分フォーカスが求められ、そうなると部分連結を要求される事になるから、という事です。
全習法ではそこまで細かい部分には手を出せませんから、細かい部分にフォーカスするという事は、分習法になる、という事です。
全習法と分習法を述べましたが、それぞれにいい部分があるので、これらは、その特徴を指導者が理解、踏襲した上で採用する事が必要で、被教授側(指導される立場)の特徴を踏まえた上でどちらを使ったらいいのか、と考える必要があります。
ですから、個々人によってどちらが動作学習を早く進められるのかが異なる、という事に繋がりますし、それには指導者自身の腕によるところが大きいとも言えます。
以上は“方法”についてでしたが、次は、その“過程”についてです。
これにも二つほどタイプがありまして、一つを「演繹法(えんえきほう)」、二つ目を「帰納法」と言いまして、この二つを簡単に言ってしまえば、“動作イメージ(答え・模範”)を提示するか否か、という事です。
演繹法の目的は、「プロダクツの指向」、つまり「答えとなる動作」を求めることで、被教示者にどのように取り組めばいいのか「デモンストレーション」を見せる、という事です。
“答え”を見せられる事によって、動作学習過程は合理的・効率的に進みますが、指導者側は“自らが示した動作”に依存、及び集中しやすい状態にもなってしまいます。そして、それを被指導者側は、受け身でそれのデモンストレーションで得たイメージを“習得・練習”します。
ここまで述べた事で、演繹法の問題点を挙げる事が出来ると思うのですが、それは「独自性」が育まれない、という事です。
あくまでも指導者が示した“答え”に準じた動作学習であり、(言い方があっているかどうか難しいのですが)指導者が中心になってしまう、主体性が選手では無く指導者側にある、という事です。
それに対して帰納法の目的は「プロセスの指向」、つまり「動作の習得過程」にあります。演繹法と逆で、指導者側は“答えを提示しない”、形で進められます。
答えを提示されない状態で動作学習を行うので、勿論、その過程は模索的になり、かなりの紆余曲折を経ていく事になる訳ですが、帰納法の目的は、まさにそれであり、選手自身に課題解決を投げてしまう事で選手の試行錯誤を誘導し、繰り返させます。
それは、たとえ一つの動作スキルについての課題解決だとしても、思考錯誤を繰り返しながら自らの動作修正や様々なバリエーションも試すので、多くのことを同時に学習できる事に繋がります。
勿論、その為には多くの時間を要しますし、それだけの余裕を指導者自身が持つ必要があります。
ただ、難しいのは帰納法です。
“答え”を提示しない、という事は、そもそもそれが合っているのかどうかを常に選手に考えさせていく訳ですが、指導者として求めるのは、自らが抱いている解決方法よりも高次にある解決方法です。
途中で選手のやり方に対して自分の枠の中での指導を当てはめてしまう事が選手の可能性を狭める事に繋がりかねない以上、指導者は選手に対していろいろな可能性を示す必要があります。
しかし、その提示の仕方もデモンストレーションとして見せるのでは無く、言葉をかけて考えて貰います。
「○○○という風に考えてみるのはどうか」
「違う方向から跳んでみたらどうだ」
「今度はこっちから狙ってみたら」 などなど
挙げていくと様々な事象が浮かんでくると思いますが、「答えが簡単に見つからない事を答え」として提示していく姿勢が大事だという事です。
以上、教授・学習過程について触れてきましたが、ハルトマン博士は「大事なのは帰納法だ」としています。
その理由は、経験値、という所にあるようです。
これは動作学習・スキル習得プロセスの部分で触れたのですが、いかに多くのことを経験できるかどうか、という量的な発達が質の発達を左右するという所に起因していて、これはコオーディネーション能力の発達も全く同じことが言えます。
ただ一つの動作だとしても、多面的に解決方法をもっている選手と、一つの解決方法しか持たない選手とでは、将来的な競技成績を考えた際にどちらが多くの可能性を秘めていく事になるのか、という事を考えると、選手自身に多くの経験を与えられる状況を作り出せることが大事だというのは異論が無いように思います。
そういう意味でもって、ハルトマン博士は「帰納的学習過程」の方が、という言い方をされていました。
以上で動作学習及びスキル習得プロセスやその教授法方についての説明とさせていただきます。
次回は、Dr.Hartmanの「状況対応行動(戦略・戦術の基礎)」をご紹介したいと思います。
対人競技(格闘技など)やゲーム系競技(球技)において必ず用いる戦略や戦術についてハルトマン博士の言葉を借りながら説明していこうと思います。
引用・抜粋)
?トレーニング科学国際集中講座 in Lepzig 基礎資料中
(編集:ライプツィヒ大学スポーツ学部/一般動作学・トレーニング学研究室
翻訳:高橋日出二(ライプツィヒスポーツ科学交流協会))より