ドイツはライプツィヒからの帰国 その18
今回は、Dr.Hartman担当の動作学習についてご紹介します。
講座の中ではこれらの内容は下記のようになります。
「動作学習プロセスの各段階とその構成法」
まず、“スキル”という“言葉”について。
「これはコオーディネーションと同等の感覚的要求が存在する」とハルトマン博士。
日本の競技スポーツの中でもスキルという言葉は、ここ10年ほどで頻繁に聞かれるようになってきたと思います。
では、スキルとはどんな“もの”なのでしょうか。日本語に直すとなると“技能”とするべきでしょうか。後々触れてみますが、技術ではありません。
スキルは大きく分けて二つ。
「基礎運動スキル」と「スポーツ技術スキル」に分けることが出来ます。
「基礎運動スキル」というのは、“個人別パフォーマンス前提”です。
つまり、スポーツ動作を限りなく自動的に、言い方を変えれば自然に実施させるための前提条件、という事です。
限りなく自動的に、という事は、“意識が介在しないレベルで遂行可能な動作”が基礎運動スキルの範疇(はんちゅう)になると言えます。
それは皆さんも普段の生活の中で“意識せず”に行えているものばかりで、挙げていくと、歩く、走る、持ち上げる、持つ、ホップする、投げる、捕る、など
日常生活の中で必要なものである、という事は、改めてトレーニングする必要が無い動作群の事を指します。
それに対して、「スポーツ技術スキル」はどんなものでしょうか。
これは、コオーディネーション能力と同じく“情報系パフォーマンス前提”です。
情報系パフォーマンス前提のコオーディネーション能力に関しては、過去のブログ記事「ドイツはライプツィヒからの帰国 その8」の中で情報系のプロセスと共に触れていますが、スポーツ技術スキルも『情報を受容・処理・記憶する感知・神経系システム』という情報系の枠組みの中に組み込まれる情報系能力です。
スポーツ技術的スキルとコオーディネーションは情報系パフォーマンス前提で横並びになるものであり、どちらもパフォーマンスを規定する一因子だという事です。
それだけをトレーニングしたとしてもパフォーマンスの一時的な向上は見られますが、その他の前提が発達していないのであれば、すぐに頭打ちが来てしまいます。(その理由は一番最後に触れることとして…)
そして、重要な点なのですが、“技術”に関して触れます。
ハルトマン博士の言葉を借りるならば、「技術というのは“提唱”されるものであり、手本や見本となるものが技術である」という事です。
例を挙げるならば、スキーのジャンプ競技にジャンプの仕方における変遷。
パラレルで飛んでいたものがV字に変わりました。
クロスカントリースキーにおいても、今ではスケートの様な滑り方に変わってきています。
あとは、走り高跳びの跳び方も挟み跳びやベリーロールなどを経て、今では背面跳びで多くの選手たちが跳んでいます。
以上のように、技術というのは、その競技における“やり方”と言えるものであり、言い方を変えれば、各競技の“課題様式”を示すものです。
技術という枠組みの中で如何に効率よく行えるか、という点で日々の練習を行う訳ですが、そこで行われているのは、“技術トレーニング”では無く、スポーツ技術の“スキルトレーニング”というわけで、それはつまり、日々の“動作学習プロセス”を経て獲得されていくものです。
ここで、動作学習とは…という点に触れてみます。
まず、環境に制約されるものであり、その他にも、器具、場所、コーチの有無、能力の高低…、etcに制限されるものです。
また、別の要因としては“経験”に依存しています。
どのような動作経験を経た上でトレーニングを行うのか。
これはドイツでも問題になっているそうなのですが、子供たちの運動経験が減少している事によって、今まで難しくなかったものが難しくなってきているそうです。
これは日本における幼児の前転が出来なくなってきた、等で報告されている運動能力の低下と同じ問題がドイツにおいても挙がってきている、という事です。
また、時期に依存します。この時期、というのは捉え方を気をつけなければならないのですが、例えば、自転車の乗り方。これは一度身につけたら忘れません。
しかし、体操を取り組んでいた方が、鉄棒の大車輪を取り組む際には、時が経つに連れて難しくなります。
これは、年齢が加算されてくると共に、大車輪を行う上での“前提条件”が弱ってしまう事が、その大きな理由となるのですが、自分の体重を支えるだけの“ちから性能力”が必要になり、自分の体勢がどうなっているのかを司る三半規管の能力、つまりバランス能力も必要です。
自転車を乗るのに、そこまで大まかな前提条件は必要ありません。
そうすると、時期というのは季節では無く、パフォーマンス前提トレーニングを行っている期間、とも言えるかも知れません。
そして、情報の受容・処理プロセスを必ず経る、という事です。
自分以外の状況に対して適切に行動できるかどうか、また、誤っているのであればそれを直ちに修正できるかどうか、それを踏まえた上で適切に解決する事が出来るかどうか。
この“情報受容処理プロセスを経る”という所が“情報系パフォーマンス前提”だという理由です。
上記したものを統合すると、この様な言い回しになるでしょうか。
「スポーツ運動動作経過を環境に制約されながら、経験に依存しながら、比較的長きに渡って伝授ないし修正するプロセスである。」
あらゆる環境と常に対峙しながら、自らの経験をもとに、解決のためのプロセス(経過)を重ねること、と言い直す事が出来ると思うのですが、“経験”というのは、“能力”とも言いかえることができると僕個人としては思っていて、その理由は下記の言説にあります。
「スキルは、そこに内在している能力を決して凌駕する事はない」 BREHM(1983)
以上の言葉を踏まえて言える事は、個人の前提条件である各運動能力を越えてまで発揮されるスキルは存在しない、という事です。
つまり、自分の能力以上のスキルを求められても、解決する事は困難である、という事です。
だから、常々このブログ内でも述べている様に、競技パフォーマンスというのは一義的な要因で語られるものでは無く、他の因子を他の因子が補完し合いながら、微妙で絶妙なバランスの上に成り立っているものである、と言えます。
以上の内容をもって簡単ではありますが、動作学習についての紹介とさせていただきます。
次回は、その教授法、つまり指導の仕方について触れてみます。
引用・抜粋)
?トレーニング科学国際集中講座 in Lepzig 基礎資料中
(編集:ライプツィヒ大学スポーツ学部/一般動作学・トレーニング学研究室
翻訳:高橋日出二(ライプツィヒスポーツ科学交流協会))より