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dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

{DE}dolog トレーニング科学国際集中講座 in japan 2012レポート⑷



不可欠な運動パフォーマンス前提としてのコオーディネーション能力


さて、今回で11/24,25の二日間開催された講座のレポートを終了したいと思います。
だいぶ時間がかかってしまったこと、大変反省しております…。


さて、今回は、再びDR.HARTMANです。

情報系パフォーマンス前提のコオーディネーション能力について。
あ、まず、今回はその話に入る前に「能力」という言葉について触れてから内容へ入っていきたいと思います。

“能力”という言葉は皆さん、ごくごく当然の様に使用されると思うのですが、その理由について考えた事ってありますか?
これについてはDR.MINOWがライプツィヒで説明してくださいました。

能力ってなに?

能力というのは人間が利用しやすいよう、勝手に作り出した造語
なんでそうなるのか、という理由を考えると、ですね。例えば前回、記事にしたエネルギー系パフォーマンス前提である「持久性」。
これを体のどこに「持久性能力」という器官が存在するのでしょうか?それを探ってみます。

まず、外見上はありそうに無い。次に筋肉の中にありそうなので、皮膚を切り開いてみましょう。筋原線維を包んでいる筋膜がありました。まだ無さそうですね。筋膜も開いてみます。

あれ?ぐちゃぐちゃの線維しかありません。

そうです。体の中に「持久性能力」という器官は存在しません。選手を指導する立場にいる人間がトレーニングシステムの“精度”を高める為に作ったもの、だからです。

ただ、機能システム(エネルギー代謝、など)を調べた際には、どのような“特徴”があるのか、は判定できます。

トレーニングを進める上で「能力」という言葉があった方が便利だし、円滑に行きそうだから使っている、というのが実情です。

だから多くの能力が存在しますが、それは健全な事なんだとDR.MINOWは言いました。
「皆がよりよくしようとしている結果だから」と。

こうやって「能力」という単語を見てみると、持久性とコオーディネーション、この二つに言葉としての差がない事が分かりますよね。

だって同じ運動パフォーマンス前提で、能力という架空のものである事が分かったのですから。

前回はエネルギー系パフォーマンス前提でしたが、情報系との関係については、何度も出てきたこのモデルをご確認いただければいいかと思います。
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なんで“コオーディネーション”?

日本の中で動作を調整する、という様な意味合いでは「コーディネーション」として認知が多いかと思います。しかし、僕が文章にしているのは「コオーディネーション」です。この違いは、ただの言葉遊びでは無く、明確な理由があります。

日本へコオーディネーションという考えが入ってきた時に、訓訳されたのが「呼応」なんですね。体育学では調整(力)、心理学では協応、神経生理学・政治学・社会学では協調言語学では等位、という訳語が当てられています。

それを純粋にカタカナにしたら「Ko-ordination(コオーディネーション)」になるわけですが、それがいつの日からか日本では英語的な「coordination(コーディネーション)」と呼ばれ始めました。

コオーディネーションを、この“呼び応える”という「呼応ディネーション」として捉えると、コオーディネーションに対しての見方も少し変わるのではないでしょうか。

脳からの伝達だけでは無く、各感覚器官に対して脳からの伝達経路もあれば、その感覚器官からの伝達も人間の体には不可欠なものです。

これを無視して運動行為や動作を考える訳には行きません。それではただの「脳トレ」で終わってしまいますから。

さて、次から本題である情報系パフォーマンス前提としてのコオーディネーションを見ていく事にしましょう。

情報系パフォーマンス前提


何より、情報系パフォーマンス前提とされるコオーディネーションや基礎スキルやスポーツ技術スキルは、このレポートの⑴でやった情報系プロセスです。
まず、外部からの情報を受容し、行為を実施し、調節をする、という事を繰り返します。

運動の中で働く感覚として挙げられるのは…
  • 視覚
  • 聴覚
  • 触覚
  • 筋原感覚
  • 固有感覚受容
ですが、それをどのように使うのか状況を把握し、動作を調節するのですが、これに関しては未だに未開拓な部分だ、とDR.HARTMANが仰っていました。

脳から体に信号が伝達される、だけではなく、それぞれの感覚から脳への伝達も存在する訳です。だから、“脳だけ”にアプローチをする事はナンセンスと言わざるを得ません。それだけで人の動作が成り立っている訳では無いからです。

といった事を繰り返すとまた長くなるので、別の機会に譲りたいと思います…

さて、本題であるコオーディネーションの変遷は下記をご参照ください。
僕はこれからそれぞれの解説文章を書いていきます。

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1960年 Meinel が「巧緻性と器用性」を提唱します。
ただ、この当時、コンディショニングトレーニング、今までのレポート内から言葉を選べばエネルギー系のトレーニングが主流だったのですが、マイネル教授は「それ以外にあるだろう」という事で上記の二つを提唱した、と。


1968年 Gundlach が8年かけて「コオーディネーション能力とコンディション能力」に対峙させます。
しかし、何となくあるみたいだ、という程度で、まだ“コオーディネーションとは何だ”という部分はまだ解明されていません。


1973年 Schnabel がコオーディネーションを「操作・適応・運動学習」の3つの能力と定義します。
ここからライプツィヒ大学(当時“DHfK(デー・ハー・エフ・カー)”)を挙げての研究が開始されます。
ちなみにこの当時、DR.HARTMANは大学1年生だったそうです。

1978年 Blume が7つにします。この7つに関しては後程。
1979年 Hirtz が学校体育に限っては5つで十分だろう、とトップパフォーマンスを目指さない場合について再定義。

1982年 Roth この人は西独の方なのですが、東独と同じ様に研究が重ねられていたわけですね。
そこで生まれたのが「タイムプレッシャー下での正確なコントロール下でのコーディネーション」という考えを提唱し…

1994年 Hirtz がRothの定義を基に「精確な操作、動作変換、適応」と定義する。

といった具合に変遷をしてきた訳です。
何だか色々と定義されてきているんですが、これをDR.HARTMANは、こうやってまとめました。

学校体育は上のモデルで言う所の「連結」「変換」能力を省いた5つ。
競技スポーツはその二つを入れた7つ。

じゃーこの7つもあるコオーディネーション能力って何だ!?と。
そのヒントとしては、この記事の上部に示してあるモデルにありますね。運動のパフォーマンス前提で、特に情報系プロセスを経て、操作調節が必要な場面で発現するもの。

小難しい言い方になってしまったので、簡単にコオーディネーション能力の重要性について挙げていきます。
  • スポーツ技術スキルを習得するテンポや質および持続性に影響を与える      ⇒ 前提的な機能競技スポーツ、余暇スポーツ、学校スポーツ
  • スポーツ技術の改善の段階において動作経過を整えやすくなる            ⇒ 調和化機能:トップスポーツ
  • エネルギー潜在力(ちから能力や持久性能力)の活用度の高さを決める        ⇒ ジュニアスポーツ、トップスポーツ
  • 切り替わる、あるいは変化する外的条件への適応を可能にする            ⇒ 余暇スポーツ、予防スポーツ、高齢者スポーツ
  • 怪我の危険性を緩和させ、ないしはケガ故障の未然防止に役立つ           ⇒ 余暇スポーツ、予防スポーツ、高齢者スポーツ
  • 特に障害者や高齢者に取っては生活のより高い質的改善を図る際の手がかりとなる   ⇒ 予防スポーツ、障害者スポーツ、高齢者スポーツ

6つ挙がった訳ですが、上から3つ目までは競技スポーツに関わる割合が高くて、下3つが健康一般スポーツに対する割合が高いってことですね。

勘違いしては行けないのが、一番上の項目にしても、一般の方がスポーツを楽しむ際に、技術習得をする際には必要な前提条件となります。

だから、この挙っている6つはスポーツや運動を行う人、全員に当てはまる事だと捉えてもらって間違いないと思います。

例えばテニスを始めた人が、最初は打てなかったサーブを情報系(コオーディネーション能力や技術スキル)前提が整ってくる事によって、習得までの時間が短縮できる、という事です。

だから、ビギナーに対しては一般的な、言い方を変えれば全般的な運動を行う事で、その可能性を広げる事に繋がると言えます。

7つのコオーディネーション能力

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上に貼付けた資料の中に7つあるコオーディネーション能力のそれぞれについて僕なりの解釈を加えながら説明していきたいと思います。

分化能力 … 個々の動作位相を部分身体動作の繊細な調合を効率よく目的に合わせて行う事を可能にする事

分化能力は、言い換えると力調節と言えます。我々が茶碗を持つ時に割らずに持てるのも、この分化能力が関与していると思われます。違う例で言えば、1kg、2kg、3kg、と重さの異なるものを3m先に投げて全て同じ場所へ落とそうとする時に働く能力です。

サッカーで言えば、1m、5m、10m…と距離が違っても目標とする箇所にパスを出す際に作用します。


連結能力 … 個々の部分身体動作を目的に合わせて互いに協応させ、特定の行為目標に向かう全身動作に関連づけて行う事を可能にする

連結は、バスケットボールでパスを受ける事と、違う選手にパスを出す事を結びつける能力です。違う動作同士を結びつける、とでも言いますか。

連結が瞬時に行われてるのはバレーボールのレシーブですか。レシーブを受けながらトスを上げる選手にパスを出す訳ですからね。


反応能力 … 単一あるいは複数のシグナルを素早く認識し、目的に応じた、大抵は短時間の応答行為を即時に導入する事を可能にする。これは正確なタイミング、かつ、その課題に適した速度で生起する。

反応は、イメージしやすいと思います。単一の…と言って思い浮かぶのは、陸上の短距離や競泳のスタート、ですね。一つしかシグナルが無いものです。

片や、複数のシグナル…となると球技系のスポーツになるでしょう。ラグビーのボールを持って走っている選手は、相手がどう向かってきていて、その次の相手がどこから来ているのかを瞬時に判断して、自らの進行方向を決めて駆けていきます。


定位能力 … 時間と空間における体勢変化と身体動作を既定の行動域、あるいは客体の動きに関連づけて特定し、調節する事を可能にする

定位能力は、自分の体勢がどんな状態になっていて、どこにいるのか、その体勢から戻るまでにはどのぐらいの時間がかかって、それを立て戻すにはどれだけの時間がかかって…なんて事を把握する能力です。

小学生の頃に運動会などで隊列を組んだまま色々な場所へ移動する様な事があったかと思うのですが、この時に定位能力は使われますね。

よく「俯瞰」なんていいますね。鳥が見ているみたいに高い位置から全体を把握できる事を。それをイメージしてもらえば。
あとはそこに自分の身体の状態を把握する事がプラスされています。


バランス能力 … 全身体を平行に保ち、この状態を運動行為の最中ないしは終了後、また周囲条件の変化に際しても維持し、あるいは回復する事を可能にする。

バランスも反応と同様、イメージがつきやすいものだと思います。体操選手が平均台の上で試技を行いますが、この時に不可欠ですね。ちょっと落ちそうになるものを何とか維持させるのもそうですし、鉄棒の着地の際にも重要な働きをしてくれますね。


変換能力 … 行為遂行中に知覚または予測(アンチティペーション)された状況変化に基づき行為図式を、その新たな条件に適応させて、目的に応じた応答行為の導入を可能にする。

変換能力は、今までの状況がガラッと変わった時に必要な能力です。ボールゲーム(球技)型の競技では頻繁に起こる事ですね。

サッカーのディフェンスの選手がフェイントをかけられて、無理矢理対応する場面でもそうでしょうし、何より、今までボールを持っていた選手がボールを取られてしまい、ディフェンスになった瞬間に、大きく関与する能力です。


リズム化能力 … 一方では、聴覚的な(音楽など)あるいは視覚的などの外的手段から指示されるリズムを動作よって再生する事を可能にする。もう一方では、「内在化した」つまりイメージ内に存在している、スポーツ動作特有のリズムの実現を可能にする。

リズム化能力で顕著に分かるの漕艇競技、つまりボート競技ですね。2人、4人、もしくはそれ以上の人数で同じタイミング、リズムで漕ぎ続けなければならない訳ですから。

そして、バレーボールのレシーブ→トス→アタックの際にも選手間での共通のリズムが具現化される事で流れる様なダイナミズムが発現される訳ですね。


ふー。。
文字にすると中々に読むのが大変な文章になってしまいますが、こういった所ですね。

ただ、注意が必要なのは、定位・反応・連結・変換と言った能力は常にオーバーラップし合っている関係にあります。

ですから、どれか一つだけをトレーニングしようと思っても難しくて、ただ、その中でも例えば定位を、例えば反応を、と言った具合に強調する事は出来る、という事です。下にあるモデルで確認できます。


それはそうですよね。定位能力で自らの位置を把握するにも、それを知らせるシグナルが必要ですし、そこに向けて動いていくにも、常に連結と定位を繰り返しながら、新たなシグナルに適応させる為に動いていく訳ですから。
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さて、今回はパフォーマンス前提条件としてのコオーディネーション能力についてみてきた訳ですが、長くなったしまった事をお詫びします。すいません。

今回は二日間の中で、パフォーマンスとは何で、人が運動行為を発現する際にはどんな要素があるのか、そして、コオーディネーションとはどういった経緯で生まれ、今に至っているのか、という所に触れました。

非常に簡便に説明される為、非常に単純なのでは無いか、とすら思ってしまうのですが、決してそんな事は無くて、むしろ掴み所が無くて迷子になってしまいかねないとすら言えます。

簡便にできるのは、彼らがそこまで追求する姿勢を持って、その研究内容を現場のトレーナー(指導者)達と協議しながら作り上げてきたモノだからで、研究室に閉じこもって出来たものでは無い事が良く理解できます。


少し脱線してしまうのですが、ips細胞の生みの親である山中伸弥教授は「研究者は一般の人たちにもっと説明できる様になるべきだ」と述べました。
これは山中教授が実践してきた事でもある訳ですが、我々一般人に分かる様に説明できなければ、本当に必要な事でも必要だと思われない、という事です。

この言葉が自分の頭に入ってきた瞬間に、このライプツィヒ学派の説明する運動パフォーマンスにまつわる言葉達に触れて、かなり簡便化されている事がどれだけすごい事なのかを知る事が出来ました。

一般目線とは言いませんが、現場目線で、常に研究者とトレーナーが一体となって作り上げてきたものだからこそ、僕みたいな人間にでもスッと入り込んできます。

そして、以前にも「ドイツはライプツィヒからの帰国」(アメブロ)というタイトルで連続記事を書いていたのですが、少しでも多くの方の目に触れる事が出来る場を作る事が、その場に参加した自分としての役割なのだと思い、書いた次第です。

運動に携わる多くの人たちの、ちょっとした足しにでもなれば幸いです。

今後もどうかよろしくお願いします。


ENDO,Ryosuke


リンク
引用・抜粋)
?第3回トレーニング科学国際集中講座 in japan 資料中より
編集・著 ライプチヒスポーツ科学交流協会 (KoLeSpo)
?資料の掲載に関しては、KoLeSpo高橋さんの許可を得た上で、「人、年」を表記した形で掲載させていただいております。
?コオーディネーションのトレーニング-東ドイツスポーツの強さの秘密- 綿引勝美;著、1990年、新体育社