競技スポーツの現場に
今回は、ちょっと趣旨を変えて、自分の活動現場における変化をご紹介したいと思います。
競技スポーツの現場に所謂、スポーツトレーナーという存在が当たり前になりつつあります。
これは僕が先日、ある競技の大会帯同をした際に、ほかのチームのスタッフ構成を耳にする事があり、分かったことなのですが、近年はその存在自体が不可欠な存在として扱われているのか、増えてきつつあるようです。
という事はどういう事かと考えると、指導者が競技スポーツにおける障害の予防やスポーツパフォーマンスの改善・向上にフィジカルな要素を求めている事の証だと思うのですが、非常に良い方向で動いているな、というのが個人的な意見です。
その理由は以下に述べる通りです。
契約的な話をすれば、僕も契約させていただいた上で活動をさせていただいている身なもので、こういった人間を雇う以上、その人間の“時間”を拘束する訳ですから、費用がかかるわけです。それが対象となる人間の数によるものなのか、固定した金額になるのか、それとも時間によって区切るのか、は各自に委ねられる部分であり、相互間の契約交渉により決定されるものです。
そして、様々な条件をすり合わせた結果、その現場に赴く訳ですが、その内容も契約先(チームや個人)が何を求めているのかに寄与します。
生涯発生の対応から競技復帰までを求められるのか、ちからの部分にフォーカスをしたトレーニングのプランニング及び指導を望むのか、持久系パフォーマンスの測定からその改善に至るまでのプロセスを任されるのか、などなど。
その内容は多岐にわたります。
求められる事はチームであればチームのためであり、引いては勝つため、チーム成績を良くするために、そのチーム活動の一環として組み込まれます。
チームとしての活動時間の中に、その時間を組み込む事が出来る状況というのは何より素晴らしいことだと個人的には思います。
日本の競技現場でよく耳にするのが「時間がない」という言葉です。
僕もよく言われました。
別にそれを否定するのではなく、そういう言葉が蔓延している中で、対象となる人間、つまり選手に対して「経験」を与える、という点で非常に共感できるのです。
雑な言い方をすれば、○○トレーニングをしたから、○○という治療方法を実践したから、という理由でチームの成績に寄与できる事は、決して大きなものでは無いと個人的には思っています。
そこまで誇張した言い方を出来るだけの活動を僕が出来ていない、というのが一番の理由なのですが…。
もちろん、怪我人は少ない方がいいでしょうし、パフォーマンスを規定する要因を沢山見たしていた方が強いチームには見えると思いますが、勝負っていうのは簡単なものでは無く、だからって勝てるわけでもありません。
だからこそ、スポーツという枠組みの中で、一つの競技という枠組みの中で、チームという枠組みの中で、練習という枠組みの中で、選手としての幅を持たせてあげる事に繋がればいいのであって、その各個々人の可能性を広げるように新潟県の指導者の方々も動き始めている、という事が僕は嬉しく思います。
以上、在野に転がるスポーツ従事者の戯言でした。