{DE}dolog

dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

情報という”流れ”

今回も偉そうに書きます。



今現在、情報の波は我々の生活を確実に良くしてくれていて、尚且つ、教育や学習という点においても利益を被っています。

例えばそれは、現在、インターネット検索において論文検索ができ(無論、出来ない部分もありますが)、一般的に流布されている事は、インターネットに接続できる環境さえあれば誰でも知ることができ、誰にでも伝える事が出来るということになります。



かくいう、この文章を目にして下さっている方々もインターネットいう波の中から、この文章を選び、目にして下さっているわけです。



ここで、人に対して偉そうに指導をする、トレーニングを提供する立場にある自分の立場を鑑みて、この情報が多く溢れている中で生きていく上で重要な点が一つあります。

それは、“たいていの事は一人で出来る”という事です。



というのも、現在、スマートフォンやタブレット型端末の普及により、運動を自己管理できるアプリケーションも500円も出せば手に入ります。

その中に自分の身長体重など自己情報を入力する事で、ある程度のトレーニングプログラムを立ててくれ、それを記録する事もしてくれます。



実際にこれを書いている自分もアプリケーションを利用し、自分のランニングに関しての情報を得て、残しています。GPSを使用して位置情報を送る事で自分の走路から速度、ペースまで把握することが可能で、それを記録し、例えば月間での走行距離や、時間を確認することもできます。



つまり、俗にいう“トレーナー”という存在がアプリケーションというツールに淘汰される時代になってきたという事です。そこにインターネット上の情報を閲覧し、自らの走り方について考えている方は、様々な情報を検索、閲覧した上で、自分の動作に置き換えてみる事で実践し、納得できれば採用し、出来なければ実践している最中に気になった用語を検索し、再度調べ、実践を繰り返す、という事をするでしょう。



トレーニングのプランニングについても同じことが言えます。

一般の健康志向の方まで普及しているかどうかは疑問ですが、少しウェイトトレーニングを始めてしばらく経つ方は“ピリオダイゼーション”という言葉自体は認識できます。

球技スポーツの指導者からも少なからず“期分け”という言葉は出てきます。

ある程度、自分の走る事やウェイトトレーニングについてのプランを立てる事は、現代において不可能では無く、現実にしている人は増えていると思います。



このまま情報を得る能力というのは、確実に向上していくでしょうし、いつまでも頼られることに慣れていると、ある日急に捨てられる、という目にあう可能性は明日に迫っています。



今後、スポーツという枠組みの中で(特に一般健康スポーツ)、指導する人間と指導される人間という分け方では無くなっていくのでないでしょうか。

ある程度情報を共有した者同士が、自らの考えと相手の考えを踏まえた上でぶつけ合い、自らの身体についての高みを目指していく、という相互関係が成立していくように個人的には思います。



ですから、自分のような無知に近い人間は淘汰されないように必死に学習しなければなりません。

しかし、これは何においても変わらず、治療する人間でも、健康増進に関与する人間でも、怪我を治す、リハビリをする人間でも、栄養を指導する人間でも変わらないのではないでしょうか。



確実に世界の情報共有速度は早まっているので、“ある程度”から脱却せねば!!