{DE}dolog

dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

{DE}dolog ドーピングってご存知ですか?

常に付き纏っている問題

ちょっと気になる記事を発見したので、ご紹介。

「スポーツとドーピング」五輪の度に取り上げられる問題でもあり、過去には男子ハンマー投げで金メダルを獲得したアヌシュ選手が尿検体のすり替えと、再検査の拒否により金メダルを剥奪される、日本の室伏選手が金メダルを獲得する、という事案もありました。


つい最近では自転車競技会の絶対王者ランス・アームストロング氏が7連覇タイトルの剥奪と追放という厳罰を受けました。


彼は癌を克服して復帰を果たして選手であり、自身も癌の撲滅と癌患者の支援を行う団体「ランス・アームストロング財団」を立ち上げ、癌と闘う姿勢を見せてくれていました。

今回の騒動を受け、代表の座を退く事も明言しています。

今回ご紹介するのは、その彼とドーピングの問題と、そもそもスポーツとドーピングの問題についての記事を何点か。

ドーピング=悪のライン引きはどこまでが可能なのか、という点について再考していく事が必要だとは思いますが、そのゴールは果てしない者であり、非常に難しい問題なんだと認識させられます。
五輪をはじめとするスポーツ全般の地位が急激に上昇したのは1920年代で、国際陸連が国際スポーツ機関としては史上初のドーピング禁止規定を制定したのは1928年です。ドーピング=悪という視点は、スポーツの地位上昇とともに生まれ、強化されてきたのです。
ではスポーツの地位を急激に押し上げた要因は何かというと、ずばり1920年代に普及したラジオです。スポーツは、ラジオとその後に続くテレビに寄生し、そのキラーコンテンツとなることで大化けしたのでした。
その過程でスポーツフィールドは神殿とされ、アスリートは神々しいオーラをまとわされました。そこには、人間の弱さの現れであるドーピングが入り込む余地はありません。こうしてスポーツは、マスメディアにより作られた神々しい幻想の姿に合わせるために、ドーピングと距離をとり始めたのです。
とは言うものの、この段階では、スポーツはドーピングを本当に撲滅する必要はありませんでした。ただ、マスメディアにより作り出される幻想を壊さないように、ドーピングに反対する姿勢を示し、時折ベン・ジョンソンのようなスケープゴートを供すれば事足りたのです。
しかし、マスメディアの力が低下し始めた2000年代中期以降、そうは行かなくなりました。もはやマスメディアは大衆を分厚い幻想で包んではくれません。この期に及んでスポーツがその神々しいイメージを維持するためには、本当にドーピングを撲滅し、現実と幻想を一致させるしかないのです。
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