{DE}dolog

dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

{DE}dolog “クラブ”と“部活”

クラブ組織と部活組織の違いは生じるのか

グラウンド ground light by goto_
前回の記事({DE}dolog 桜宮高校の事案に思う事)を書いてから、果たして、部活動はどのような存在で、クラブとはどのような存在なのか、その二つは対立する軸にあるのか、それについて検証してみたいと思い、調べてみたので、今回はそれを記事にしてみたいと思います。
クラブ (club) とは会員制の集まり、社交・親睦団体などを指す。共通の趣味・興味を持つ仲間が定期的に集まって形成する団体をいう。18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパで成立した。その歴史的過程の中で、社交クラブ、政治クラブ、文芸クラブ、歴史クラブ、スポーツクラブカントリークラブなど様々な類型のクラブが生まれ、21世紀においても世界各地で多数のクラブが人々の生活の中に根付いている。
以上はwikipediaからの引用で、clubについて。
歴史的な背景として、近代欧州とクラブの成立は期を一にしている、と。 同じく引用ではあるが、中世欧州においても人的な結合が行われており、その内訳に関しては、各国で異なるみたい。

次は部活動を主にして考えてみると、以下。
クラブ活動(クラブかつどう、club activity)もしくは、部活動(ぶかつどう、extracurricular activity)、サークル活動(サークルかつどう)は、いずれも共通の趣味・興味を持つ仲間が集まった団体の活動の事。
この文言だけを捉えれば、本質的に「クラブ」と「部活」における“差異”が生じているとは思えない。

しかし、特に競技で言うとサッカーが考えやすいので、サッカーを例にして考えてみると、今では“街クラブ”といういい方が普及しているように、Jリーグに所属しているようなプロチームの下部組織ではなくても、街中には多くのクラブが存在している。

そして、基本的にそこで行われるのは“サッカー”をやる事が好きで集まっている人間の集まりであり、年代が離れている人間が交わる事の出来る“社交場”でもある、という点。

練習をする時間が年代によってバラけるため、時間が被ってしまう事があるわけだが、そこで少年達は自分達よりも上の年代の人間に触れたり、実際にプレーしている様子を見る。時には、年代が上の人間達との間に入るような少年少女もいるだろうし、そういった触れ合いがクラブには存在する。

そういう根本的な在り方は、大人達が集う夜のクラブにおいても、音楽や食事や酒が好きな人間同士が集まる社交場として提供されているわけだが、この“クラブ”という在り方について言えば一緒。様々な年齢や立場の人間が、一つの場所に集まり、同じ嗜好と話題を共有する、という意味で、である。

翻って部活動についてはどうか。

wikiに書いてある「運動系と文科系」の項は、何だか恣意的な部分があるので引用することを避けるが、文部科学省のHPに載っている学習指導要領中等教育の総則において部活動についての記述があるので引用したい。グラウンド by zamojojo

第4 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項

(13) 生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際,地域や学校の実態に応じ,地域の人々の協力,社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること。 

また、別の「我が国の文教施策[第1部 第3章 第2節 3]」のページには、部活動の意義や活動における課題等が考察されている。ここで触れられている部活動については、あくまでも学校生活の中の一部で、学習を阻害する要因にならぬように配慮する事が求められているように感じた。

運営方法については、中等教育(中学、高校)の部活動は基本的に「課外活動」であり、必修ではない。これは、2003年度に改訂された学習指導要領において、必修のクラブ活動が禁止される文章が組み込まれたことに起因する。各学校の実態に合わせて取り組めるように「課外」化したと見れる。

予算・活動費

クラブと部活動の違いは、運営上の資金調達が最も大きい。クラブの場合は、参加する人間が会費を払う、もしくは協賛を募
ることで活動費として予算化できるが、学校の部活動においては生徒会傘下である事から、学校の中の予算の一部ではあるものの、それは学校が持つ部門の資金ではなく、あくまでも生徒会費中の分配金。
グラウンドのライト by goto_
つまり、他の部活動の活動費を含めながら生徒会が分配を判断する事となり、一律に判断される。もちろん、部活動の活躍如何によっては、(広報的な意味での)活躍度に応じて分配金が多くなることも考えられる。それプラス生徒達からの部費、OB会や保護者会のバックアップがあって、スポーツ強豪校の活動費は賄われている。

選択する生徒側から考える

先ほど、サッカーのクラブを例にしてクラブと部活について考えてみたが、サッカー以外の競技において、“部活”以外の選択肢が無い事が大半で、もし、部活動に所属している選手が、その学校の“部活動”にどうしても馴染めなかった場合、その時点で諦めなければならない状況に追いやられてしまう。

もし、それが学校生活の第一に据えた上で学校生活に臨んでいた場合、それは全くもって悲惨な状態だと言えないか。辞めた場合、他に何か見いだせればいいが、元々そのスポーツが好きで入ったが辞めなければならず、その次の受け皿もない。

れは自分自身が経験した事がある事なのだが、辞めようものなら学校という狭い社会の中でどのように見られるのか、を常にびくびくしながら生活しなければならない。そうなると学校へ足を運ぶことすらしんどくなってしまう。

今回の桜宮高校での事案もこういった事が背景にあった上で起こった。
今後は様々な競技においてクラブ化していく事が考えられるが、陰湿な状況にある事は変わりないと思うし、抜本的な解決、というのも何を持って抜本的かは解らない。

だけど、以下の文章と、そのあり方が全てを語ってくれているような気もする。

 ヨーロッパのクラブが趣味やスポーツを通じた交流をその本質的な目的としているのに対し、日本のクラブは趣味やスポーツそのものが目的となってしまい、交流が必ずしも目的として意識されないことも多いように、両者の間には小さくない差異が横たわっている。

ENDO,Ryosuke

引用、参考