{DE}dolog 桜宮高校の事案に思う事
議論すべき事は部活動の在り方では無い
最近、卒業生だと思われるコメントや文章を目にする事が増えて来た。そこには自らが卒業した学校に対しての肯定的な考えを書いている。
それは勿論、否定されるべきでは無いし、自らのルーツだと考える学校が世間から“冷たい視線”を送られている事自体、とても耐えられない事は想像に難く無い。
しかし、卒業生や在校生の学校活動の肯定的なコメントや文章は、この際、論点にならない。と個人的には感じており、その理由は、問われ、懲罰を受ける立場にあるのは、学校側の体制であり、在り方だからだ。
彼らの言葉は本当に心からの叫び、と言うのがピッタリなほど自らの生活を肯定的に述べている事が多い。そして、体育の存在自体をフォローする向きがあるから、本当にそうなのだと感じる。
ただ、先程も述べたが、今回の論点は、体育科の在り方では無く、学校組織の体制や在り方について、だ。
そして、批判されるべきは、学校であり、教育委員会なのでは無いか。
橋下大阪市長は、組織のトップとして、問題のある部門のマネジメントを適切に是正しようとしているだけであり、そもそも今回の問題は「一教員が取って来た行動によって一人の生徒が自ら命を絶つに至った」 という事実だ。
そして、それを受けて適切な調査・報告を実施する事が出来なかった学校組織の問題であり、付け加えるならば、それを諮問・追求しなかった 教育委員会にあるべきであり、その矛先が大阪市長に向く事は個人的には納得できない。
そして、本日は生徒達が記者会見を開くに至ったが、それについて教育評論家である尾木氏が「命の重みわかっているの?」……尾木ママ、桜宮高生徒による記者会見 ...という記事にも出ている様に、21日に行われたこの会見に対して非常に否定的な立場を表明している。
僕自身も、この会見については否定的に見ていて、何故、大人達は止める事が出来なかったのか。
在校生には申し訳ないが、この会見を開き、自分たちの望む形に戻ると言う事は、今回の事件が“無かった事”になってしまう可能性を示す事が理解出来ていない様に思う。
在校生達は橋下大阪市長を悪者だとして認識しているようだが、それは観点とする目が足りないのでは無いか。
上でも述べたが、彼らのしている事は、自らの命を絶つに至った彼を、そこまで追いつめた人間が誰なのかを第一に認識すべきであり、そして、それを管理出来ていなかった組織を責めるべきであり、その理由は、そこが「現場」だからだ。
橋下市長は「現場の環境」に問題があり、それをマネジメントしている人間が「不適切である」と「判断」しただけであり、それだけの事案が生じてしまったのだから然るべきである。それが市長の在り方であり、マネジメントとして当然の「態度」だからだ。
会見をした彼らからしたら僕も「大人」であり、自分たちの事を理解してくれない「冷たい人間」なのだろうが、それは否定しないし、自分が当事者であれば、それが正義だと考えるだろう事も想像できる。
ただ、その認識、常識が「内輪」だけでしか通用していない事実も認識すべきだとも思う。