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dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

{DE}dolog 帝京長岡ってご存知ですか?


2012-2013全国高校サッカー選手権大会にてベスト8

今回の記事は、僕の母校でもあります、帝京長岡高校サッカー部について書いてみたいと思います。

何度も全国大会の壁に跳ね返されてきた帝京長岡高校サッカー部ですが、今大会は相手がボールを保持したら時間と余裕を与えない様に最低でも2人が圧力をかけ、攻撃に転じた際にはボールを持っている選手を最低でも2人が追い越していく、というアグレッシブな戦術と、確かな技術を基盤にしたチーム戦略で新潟県の高校サッカーの歴史に名を刻みました。

この帝京長岡のスターティングメンバー中、半数以上、メンバーにしてもその大半が長岡、もしくはその周辺地域出身の、長岡JYFC育ちの選手が多く占めています。

このチームは帝京長岡の監督である谷口哲郎氏の高校時代の同期である西田勝彦氏が理事を務めるNPO法人格のクラブであり、その立ち上げは2001年ですから、12年ほど前になります。

当時小学校の2、3、4年生だった子供達が現在の高校生達、という事ですね。
そういえば僕も一年ほどでしかありませんが、僕も彼らの指導に携わらせていただいた時期がありました…。

話を戻しまして…

つまり、現在の帝京長岡の基盤は既に12年前からスタートしている、と言える訳です。

12年の時を経て…


そして、今回の選手権において一つの”結果“を残す事となった訳ですが、偶然でも何でも無くて、これは必然であり、またシステムを構築したスタッフ陣の出した“結果”でもある、という事を声を大にして言いたいと思います。

ここまでの前提条件として、帝京長岡は「チームとしての育成」に(新潟県内においては)他の何処よりも早く、そして長く取り組んできた訳です。

勿論、過去には取り組もうとした方々がいたのかもしれませんが、現段階において“サッカー”としても熟成された上での結果を残す事が出来たのは滋賀の野洲が有名ですが、それを追随する様な結果では無いでしょうか。


欲を言えばもう一つ勝っている事が出来たら、もっと知名度を得る形になったでしょうから、悔しいと思います。


サッカーにおける育成って何だ


ここからは身勝手な持論なのですが、サッカーにおいて「育成」というのは、「チーム単位」で行われるものであり、そもそも論ですがサッカーは「チーム」が無ければ成立しません

という事は、如何に「チーム」に貢献できる、もしくは方向性に合う選手を育てる事が出来るかどうか、というのがサッカーの育成においては、というかクラブ側として考えるべきなのはそこであり、「クラブ」としての利益を追求する姿勢は否定されるべきでは無いと思います。

そして、何よりも日本の育成現場において再考されるべき事は、あまりにも「基礎技術スキルの個人主義化」している事です。

僕の少ない経験の中でも色々なチームを見させてもらいましたが、チームとしてボールをどのように扱うべきなのか、チームとしてボールを扱う上での必要な技術スキルとは何なのか、という所がないがしろにされている気がします。

日本のサッカー選手のコオーディネーション能力(情報系パフォーマンス前提;詳しくは過去記事をご参照ください)は他国の選手よりも高いものがあると感じる事は多々あります。

しかし、それがあまりにもパーソナライズ(個人化)されているがために、“チームに還元できない”能力と化しているのでは無いでしょうか

ここが日本の中での育成の問題点だと個人的には認識しており、最近ではバルセロナが声高に言われますが、そのバルセロナこそ、自前の“チーム”の“選手”を育成しているだけであり、それが結果として、基礎技術スキルが高い選手を育む事に繋がっている為に、他のチームに進んだとしても活躍できる選手(ジェラール・ピケセスク・ファブレガス、など)が多く育っています。

が、これは何もバルセロナだけでは無く、他のクラブでも同じ事が言えます。

これは偏に「バルセロナでやるサッカーを体現させる為に育成した結果」であり、それが他のクラブでも通用した、という話だと思います。

それは「=」かどうかはわかりませんが、バルセロナで取り組んでいるサッカーを体現できる選手は、他のサッカーをやった時にも適応できる、もしくは、非常に高い基準で遂行できる、という事を物語っているとも言えるのかもしれません…。

僕自身は、別にバルセロナ礼讃主義者では無いですが、広島も同じ様な形で昔年の願いであったJリーグ制覇を達成しました。

時間がかかるものだから、皆が嫌がるけど、嫌がった分だけ目指すものから程遠くなっていく。けど、目先の気持ち良さを得たいから、その事には目をつむる。といった所でしょうか。

今後、帝京長岡のサッカーは今回の取り組んでいるサッカーの基準から落ちる事無く、進んでいくと思います。
勿論、小塚の様な選手がチーム内にいれば良いかもしれませんが、彼の様なプレイヤーは“例外”であり、彼の様なプレイヤーを何人も育てようと思っても出来るものでは無く、それを求める事自体がナンセンスです。

それであれば、きちんとした戦術的な観察眼を持った指導者がサッカーというスポーツの「チーム」としてボールを扱う事が上手くなる為にはどうしたら良いのか、を教えられる必要があります。

帝京長岡は5日に行われた選手権の準々決勝、前半は京都橘の7番や10番の対応に追われ、苦しい展開でしたが、後半は28分までシュートを一本も打たせる事無く、自らのペースでゲームを進める事が出来ました。

これは監督の戦術的な観察眼があり、それを体現できる戦術的理解力が選手にある事を物語っていると思いますが、その結果、質の高いサッカーが生まれるのだと改めて認識しました。

サッカーの育成において大切な事は、戦術的理解力とそれを体現するだけの前提条件をを如何に構築できるかどうかの競技だ、という事を忘れない事であり、個人個人の技術スキルを高める為だけの指導は育成にはあたらないのでは無いか、というのが個人的な見解です。

以上、母校である「帝京長岡の取り組んできた育成システム」の紹介と、個人的な「サッカーの育成って何だ!?」でした。

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