{DE}dolog

dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

{DE}dolog ミノウ博士ってご存知ですか?


来週に迫ったスポーツ科学国際集中講座in JAPAN!!

Olympic track by Luke McKernan
来週の土曜日から開催されるスポーツ科学国際集中講座in JAPAN
毎年の恒例となってきた事はなってきているのですが、まだまだご存じない方もいらっしゃると思います。

国際集中講座を開催しているKoLeSpoについては以前、記事にしたので、そちらをご参照ください。



Dr. Hans-Joachim Minow


前回の記事ではハルトマン博士の“ことば”についてご紹介したのですが、今回ご紹介するのはミノウ博士です。

素敵な紳士面のミノウ博士は、ハルトマン博士が情報系パフォーマンス前提だとしたら、ミノウ博士はエネルギー系パフォーマンス前提のスペシャリストです。

ご自身も800m1500mの選手として活動されてた事から、エネルギー系の本質に迫る研究を始められたのですが、ことばの端々に見られるのは、それだけに囚われていない【包括的】な視点です。
Olympic cauldron by Luke McKernan
どうしても何かに執着してしまうと、他の要因が見えなくなってしまう事ってありますよね。僕なんか、それに陥ることが少なくないのですが…

この2月にいったライプツィヒでの講座でミノウ博士の抗議を受けることが出来たことが、自分自身の活動に関して恥じると共に、振り返るいい機会になりました。

それでは、以下にミノウ博士の“ことば”をご紹介したいと思います。


「スポーツパフォーマンスとはなにか。100mのタイム=9.8sec走り幅跳びの跳躍=7.80cm、サッカーのスコア=1:0での勝利、など。これらは結果でしかない。この結果に至った経過を知らなければ、これらの結果について語ることはできない。」


「自分が見ている選手が出した記録と、世界記録を基準にして考えてみる。これは正しい比較の仕方だろうか。また、それは包括的にみているのか。体調や天候、ライバル選手、トレーニングの経過、など各条件を踏まえたうえで考察する必要がある。」


100年前と現在の比較が成り立つのか、ということを考える必要があり、なお且つそれは、現代社会的な基準に照らして考察すべき。何故なら、50年前と現代においては使用できる道具も違えば競技環境も大きく異なるからである。」


「パフォーマンスの向上を図るには、その構造を分析する必要がある。そのパフォーマンスがどんな“前提条件”から成り立っているのか。それはどんな能力から構成されるものなのか。」


「そもそも能力とはカラダのどこに存在するのか。例えば持久性能力。身体を解剖して見よう。皮膚を開く。筋肉がある。筋肉を開いてみる。筋原線維がある。一本ずつ切ってみる。しかし見当たらない。そう、持久というのは体の中にどこにも存在しないのだ。」


「どこにも見当たらない能力、という土俵で見たときに筋の“ちから”とコオーディネーションは同等であり、違う畑で語られるものではない。どちらもスポーツパフォーマンスの“前提条件”であるから。」


「そもそも能力というのは我々が作り出した造語。トレーニングを円滑に進める為の“ことば”でしかない。そのことばも人によって異なる。しかし、それは悪い事ではない。むしろ健全。各人がよりよくしようとしている結果なのだから。」


「トレーニングについて考えると生物学的年齢を考慮した上でプログラミングしていかなければならない。歴年齢だけで判断してしまっては早熟の選手ばかりを選抜することになってしまう。」


「成熟期(日本では思春期)。性成熟が基だが、どの成熟期にあり、どんな刺激に反応しやすいのか、という事を示す言葉として“感受期”がある。生物学的な年齢を把握した上で、感受期を踏まえたトレーニングのプランニングには不可欠である。」


「スポーツパフォーマンスアップのために何をどうしたらいいのか。まずはパフォーマンスモデルからトレーニングシステムの構築をすべきである。」


「トレーニング科学の見地では、“エレメンタル”の部分を解明していく必要がある。エレメンタルな能力とは、不純物がない、他の物から独立している能力をさす。例えばスピード。しかし、人が動くと言う事は筋肉が働くことである。=スピードを図る事は不可能なのかもしれない。だからこそ、フォスがやっている研究は非常に有意義なものといえる。」


*フォスというのは、この記事をご覧いただきたいのですが、スピード科学界の奇才と称されるゲラルド・フォス博士の事を指します。


Olympic Trials by Emily Baron超回復モデルに関して現実スポーツで批判を受けた。しかし、それはこのモデルが悪いのではなくて、元来、こちらは“エネルギー”に焦点を充てていたが、批判者たちはほかのトレーニングにも当てはめた。つまり、このモデルをパフォーマンス前提としてしまった所に問題があるのだ。」



どうでしたか?
“スポーツパフォーマンス”という言葉を別の言葉に置換してみても面白いと思うんですね。


一般健康スポーツに関わっている方であれば、“健康”に置き換えてもいいでしょうし、障害や傷害等の怪我に向き合っている人も同じように、“健常”に置換してみると、しっくり来ると思うんです。


それぞれの人にそれぞれのフィールドがある中で、結果だけを見て判断することは、実は何も判断していないことと一緒なのではないでしょうか。


不健康になったのには、どんな生活スタイルがあって、どんな嗜好があり、どういった環境で過ごしているのか、など、勘案すべき事項が多々あります。


肩が挙がりづらい、という人に対して、“挙がりづらい”という結果だけを見て、“挙げてください”なんて指導をする人は居ないはずです。そんな人がいたとしたらどんな分野にいたとしても上手く物事を運べていないのではないでしょうか。


勿論、何らかのメッセージ性をこめて(例えば自分で考えて行動してもらいたい事を秘めたもの)、以上の言葉をかけることはあるかも知れませんが、それが伝わる人間は多くないでしょう。結局、秘めたメッセージを自分で言わざるを得ない事が多いように感じます。


肩が挙がらないのは、肩に問題があるからかもしれませんが、それ以外にも、もしかしたら家庭内でストレスを抱えていることが原因かもしれませんし、学校や職場などで日々行っている些細な習慣がそうさせているのかも知れません。


単純に結果だけを見るだけでは判断できない、というのは、身近なことで考えてみると結びつけやすいと思うんです。


単純な結びつけは御法度、という至極当たり前のことなんですが、それをDHfKの科学者たちは当然のこととして捉えて実践していたんですね。


今回、改めて、2月のライプツィヒでの講座を振り返ってみて、非常にワクワクしました。

ミノウ博士が日本へ足を運ぶのは初めてです。
ミノウ博士のことばを聞けるのが日本では初めて、ということになります。

そんなミノウ博士の“ことば”、味わってみませんか?