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dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

{DE}dolog ボクも8年目を迎えました


◇憧れの職業“トレーナー”




R0019320 by mxmstryo

何だか良く分からないけど、格好いい。



正直な第一印象はこれ。

トレーナーっていう何だか甘美な響きに引き寄せられて、その内実がどんな世界なのかを全く見た事もないくせに憧れを抱いて、なんだかんだとやって来た。



そんなボクは現在の業種に関わり始めて今年で8年目。
ホントに良き先輩達に恵まれた事で、 ここまでやってこれた、と心底感じています。
 



振り返ってみると、何だか落ち着かないまま今に至っている様な気がするし、日本という社会の枠組みでお金を動かす一員として働き始めた事で7年間培って来た経験を基に自負が生まれた。



「何とか生きて来れた」



仕事というのは、何でも大変だとは思うし、ことさら、ボクが住まう運動とかスポーツ、という枠組みの中で仕事をして、お金を貰う、というのは簡単では無いな、と8年目を迎え、改めて感じでいる。



それは、もしかしたら年々強く感じている様にも思うが、それは年々、状況が変化しているんだから当然か。



そんなボクの経験談を述べる、というと偉そうだが、ボクみたいな三流以下の運動従事者でも8年も続けられる、というのは、もしかしたら“希望”に繋がるのでは無いか、という事で記事にしてみようと思う。







◇実力と経験、そしてコネクション






最近、日本の中で「ノマド」という言葉を良く目にする様になりましたよね。元々は遊牧民の事をさす言葉で、それを基に様々な場所で働くことを指した言葉は「ノマドワーキング」と言われています。



“働く場所を自由に選択する会社員”と考えられている言葉ですが、これはTwitterアカウント名(@May_roma)さんこと、谷本真由美氏がその著書(電子書籍)『ノマドと社畜 〜ポスト3.11の働き方を真剣に考える
』で触れていますが、そもそもフリーランスというのは、日本で言う職人であり、それだけの武器を持って働ける人間の事を指す、と言っています。







つまり、何にも出来ない人間は「ノマド」や「フリー」なんて言葉を使って働いてはいけなくて、それを名乗るにはそれなりに実力と経験を持ち合わせている人間になって初めて名乗れるものなのです。



20070511_143808_P5110006 by くーさん


実力と経験があれば、それに伴って一緒に仕事をした人間の数も増えていきますから、コネクションも生まれます。

そう考えると、実力がある人間には経験とコネクションが自然発生的に培われていく事になり、それ以外の人間は淘汰されていくことになる。



人にはそれぞれ舞台があり、その舞台上で同じ役割を与えられていたとしても、その演じ方が異なりますから、同じ様な手法を選択したとしても、最終的な実力に大きな差があれば、それを埋める事は至難の業です。



ボク自身、この7年間の中では、同じ舞台に立った事で上に書いた様な状況で淘汰され、自らその場を去る事も経験しました。


そんなボクの経験は、人とは異なる部分もあれば、被ってしまう部分もあるでしょう。

しかし、ボクだからこそ得る事のできた経験がある、と今は言えます。



それは自らが動く事で働きかけた業務であり、業績であり、実務です。

この実務経験が何よりも尊く、貴重なものである事は、ボク自身が一番強く感じています。



かといって、日本中にいる同じ生業の中に存在する仕事上のライバルの方々に比肩できるか、と言えば分かりませんし、そこまでの自信は得ていません。



それは、ボクは上記したノマドやフリーとしての経験値が少ない事に起因するからで、7年間の中の2年ほどしか経験がありません。そこでやった事と言えば、今考えればメチャクチャな事が多いのですが、当時のボクからすれば目一杯やった結果なので、後悔はありません。


しかし、反省はしております。



それを踏まえた上で、新たな経験を5年積み上げる事が出来た訳ですから、当時よりも自分の中で“良い仕事”は出来る様に思いますし、もちろん、自信も。



色々な事を様々な形で行い、経験する事が大切な事を痛切に感じる上、もっともっと質の高い”結果“を出せる様になる為には、他の人には無い何かを得るべきだとは思いますが、それを今更出せるだけの実力はない。だからボクは一つの観念を持つ事にした。







◇「部相応」






自分のしている仕事っぷりが、今までの集約された集大成だという事で考える事で非常に楽になった。

自分自身に高望みしなくなり、自分に対しての「変な期待感」も抱かなくなった。



別に絶望した訳でも、働く事に対してのモチベーションが落ちて、あきらめた訳でもないし、これからの仕事をないがしろにする気もない。
 

これからを良くするも、悪くするも、自分の「今次第」であり、「これから次第」なのだから、変に力を入れすぎても空回りしてしまうので、それだったら、自らに出来る事を精一杯、ちからの限りやっていく他になくなる。



今の自分のしている事はあくまでも自分の身の丈にあった仕事だとも思うし、そこから何か開拓できるかはそこでの働きっぷり次第だと認識している。


だから、常にアンテナを張りながら、キョロキョロしながらも自分の舞台で、自分に与えられた“役割”を、言葉が悪いけど「演じきる」事が出来るかどうかだと思う。



これから自分以外の人間と仕事をする事があれば、一緒に仕事をするには本人達がそれぞれどのような力を持っているのかを把握する必要がある。



その際にも、各自の専門が明確化された状態で仕事をするのか、何となく始めてしまうのか、で全くパフォーマンスが異なる。



ボクも過去には、過度に期待されて、結果的にそれを裏切る事や、逆に低評価だったけどそれを覆してその後の仕事に結びついた事もあり、前者の場合はパフォーマンスが低かったのでしょうし、後者の場合はパフォーマンスが高かったと言えるのかもしれません。

DSC_0146 by _temaki_

それを振り返ると、前者の際にはあやふやになった状態だった記憶がある。

後者はある程度ハッキリとイメージがある状態で仕事を始める事が出来たので、そこの違いだろうな、と。



だから、自分に出来る事、やるべき事は何なのかを明確にできるだけの仕事をするか否か。

この言い方は難しくて、何も「身勝手な線引きをしろ」と言っているのではなくて、背伸びが必要な事もある。

ボクだってむしろ、背伸びが必要だと思っている。



ただ、出来もしない事・やれもしない事を、さも当然かのように「できる」という態度で臨む事は相手に取って失礼になるからやめておけ、という話。









冒頭にも述べましたが、ボクも8年目。周りには自分よりもレベルが高い人しかいなくなってきた。


そんな中でも「ボクだから出来る仕事」を依頼される様な「働き方」をしていこう、と自戒を込めて書いてきました。



そして、良き先輩達から受けた恩赦を、ボク自身、これから働く後輩達に返していけたら…と考えています。


ジョブスほ本はreaderで読んでみる by くーさん


ENDO,Ryosuke

ノマドと社畜 〜ポスト3.11の働き方を真剣に考える
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