{DE}dolog

dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

やたらとまとまっていなかった運動制御について簡単にまとめてみた

ベルンシュタインの残り香を探してf:id:ryosuke134:20130210095959j:plain

私たちの生活は運動で満たされている.昼夜を問わず, 人間の筋肉は,頭部,四肢,体幹を望ましい姿勢に保持し, 体の位置を変え,物を扱い, 他人や動物との関わりを助け, そして外界との情報交換を行うなどのために働いている. 健康な人の全ての随意運動の中で, 最初に目を引くのは, その「有意義性」である. つまり, 随意運動のすべてに意味がある, ということである. には失敗もするが, 多くの場合, 目的を達成する. 多くの外力が働き, 予測できないことが起こり, 物体が動き, 目標が変化する外部の物質世界において, 意味のある運動を実行する事は, 容易な事では無い.


運動神経生理学講義( Mark L. Latash 著, 笠井達哉 /道免和久,監訳 )中(p.9)に書いてある文章を引用させていただきました.

運動神経生理学講義―細胞レベルからリハビリまで

運動神経生理学講義―細胞レベルからリハビリまで

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人間が動作を行う上では, その「有意義性」を如何に発現できるのか.
随意, というのは言い換えれば “自らの意志を持った上で“ といえるわけで, 時として, 自らの “意思を越えて発現される運動” の存在を何となく感じた事がある人も多いと思うのですが如何でしょう.

綿引勝美氏は自身の著書「コオーディネーションのトレーニング-東ドイツスポーツの強さの秘密-」(1990年,㈱新体育社)の中でベルンシュタインの言葉として紹介している(以下).

ベルンシュタインはまず,「能動的に」「環境に作用を及ぼすシステム」として生体を捉え,そして,「その能動的な働きかけ」が動作だと考えたのである (p.11)


ベルンシュタインは動作を “能動的な働きかけ” と捉え, それをラタッシュは “有意義性” として語っているのです.
綿引氏自身はスポーツの中の能動性についてこの様に述べている.

スポーツで言う能動性とは, 練習で獲得したレベルを突き破って, それまで考えられなかった力を発揮する事である.練習で覚えたテクニックを「発表」するだけではなくて, それ以上のものを「発揮」することが必要なのである. このような能動性を身につけるには, トレーニングの中で, あらかじめ, 環境の条件とか自分の心理状態などを絶えず変化させて, その変化, ベルンシュタインの言葉を使えば「撹乱状態」に対抗できる練習をしておくことが必要なのである.(p.13)

これはコオーディネーションのトレーニングについて, 本質的に考えることはどんなことが必要なのか, を述べたもので,そもそも運動というのは環境や条件, 状態によって取るべき行動が変容する, あるいは変容させる必要があるものとボクは理解しています.

生体におけるホメオスタシス(恒常性)に対しての正帰還(ポジティブ・フィードバック)を常に起こし続けることが“能動的な運動”だと言え, それは子供の運動発達を見ればよくわかります.

綿引氏は同著の【ホメオスタシスを越えて】の中でベルンシュタインの言葉を引用しながら以上の様に記しています.

と, いうことは, 巧みさってのは恒常性に対して常に挑み続けなければならないものだっていうことですね.

「デクステリティ 巧みさとその発達」の訳者である工藤和俊氏は運動学習研究会報告vol.14 (2004)の中で, 「「巧みの科学」の方法論」と題した自身の題目中の「4.巧みさについて研究する際に、念頭に置くべきこと」として以下の様に箇条書きしている。

  • 巧みさは、条件反射以上のものである。
  • 背景の状況を切り離した動作から巧みさを抽出することは出来ない。
  • 巧みさは複数レベルにまたがる冗長な自由度の組織化によって実現する。目的に至るプロセスの冗長性・多様性は巧みさの必要条件である。
  • 身体の内外の環境は常に変動している。
  • 心理学的に興味深い事象は神経生理学的に見ても興味深い。

デクステリティ 巧みさとその発達

デクステリティ 巧みさとその発達

特にボクが気になったのが「巧みさは条件反射以上のものである. 」という点.

条件反射は不随意的, つまり無意識下で, 言い換えれば起こってしまうものだけど, それを越えているものが「巧みさ」だと工藤氏は言っている訳です.

これは上で書いた綿引氏の“ホメオスタシスを越えて”と異口同音だと感じたのですが, どうでしょうかね.
恒常性というのは, 現在の状態を保つ為の機能ですから,それを越えるということは破壊が起こっている訳ですよ.
しかも, それを “意図して” 行う. 言い換えれば “随意的に” 行われるものだということ.

それに関連して入門運動神経生理学―ヒトの運動の巧みさを探るの3章で大築立志氏は, 巧みな動作に必要な能力として最初に“スキル”と前提した上で以下のように述べています.

正確に動作を行う能力とは, 目的にかなった動作を行うために, 適切な筋を, 適切な時刻に, 適切な強さで活動させる能力である. これらをそれぞれポジショニング( positioning ), タイミング( timing ), グレーディング( grading ), とよぶ.

入門運動神経生理学―ヒトの運動の巧みさを探る

入門運動神経生理学―ヒトの運動の巧みさを探る

この3つは巧みな動作を語る上での前提とする訳だけど, これらを身につけるには"行き過ぎた経験"が必要だと個人的には考えていて,
また子どもの運動発達に戻るのですが, 彼らの動作学習は壊されることから発展していきます.

既存の運動を常に壊し続けることから立てるように, 歩けるように,走れるようになっていくわけです.
誰も教えていないのに.

これは何を示唆しているのかを勝手に捉えるとですね...

ある程度運動動作が成熟した大人であれば, 既存のモノに縛られるのではなく, 新たな世界へ挑み続けなければならないことを示しているのではないか, ってことなんですよ.

あ, もちろん勝手な意見ですよ.