被災者という言葉
東北関東大震災(明確に決まった名称はありませんが、これでお願いします。)から一ヶ月以上経過しました。
全く油断できない福島を含め、宮城や茨城の状況も心配です。
ただ、今回のとても強烈な大地震を目の当たりにして、情報を自分自身が精査しなければならないな、と感じました。
流れている情報だけを鵜呑みにして、思考停止してしまっていると、何にも考えられなくなってしまいますから。
伝える側には伝える側の“状況”があることを今回、強く学びました。
それと共に、現在、震災にあった地域のことが報道されている中で『被災者』という言葉に違和感を感じ始めました。
何だか体のいい差別用語になってきているじゃないか、と。
“自分達は被災していない側の人間”なんだ。とさえ聞こえてきます。
勿論、自分はそれで言えば“被災していない側”です。
そして、自分には被災していない事しか分かりません。
正直な所、現実に被災されている方の気持ちは自分はわかりません。
今後もわかり得ないと思います。
真剣に考えた所で、懸命に思ったところで、分かるわけが無いんです。
ですが、自分としては仲間がいます。
一緒に志を共にした仲間や血のつながった家族がいます。
他人事じゃない。
だから、わからないながらも自分に出来ることは目一杯する。
それが、自分に出来ることだから。
被災されている方々は『被災者』じゃなく、一緒に闘う『仲間』です。
当事者にはなり得ませんが、自分として、自分の立ち位置から出来ること、自分として今回の地震と闘っていますし、今後も戦い続けます。
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