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dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

ドイツはライプツィヒからの帰国 その8

今回は講座の3日目の内容を個人的な雑感を交えながらご紹介します。

3日目はハルトマン博士の『コオーディネーション能力の育成、診断、診断法(実技)』、そしてフォス博士のワークショップ『新スピードトレーニング-解明と方法-』。



その中から今回は、コオーディネーションの歴史的な流れと、このブログの中で出てきた「○○系」という言葉についてご紹介したいと思います。

ちょっと長くなってしまいましたが、どうかよろしくお願いします。



前回(前回までは1,2日目)の記事でもご紹介しましたが、1960年Dr.Meinel(マイネル博士)によって(コンディショニングトレーニング主流の中)、「器用性」と「巧みさ」という2つの概念的な提唱がなされました。



1968年Dr.Gundlach(グントラハ博士)が1960年から8年間かけて考察を重ねた結果、コオーディネーション能力とコンディション能力という考え方に到達。しかし、この段階ではコオーディネーション能力とは何なのか、という点について何にも定義されていない状態です。ただ、コオーディネーションという“言葉”が生まれました。



1973年Dr.Schnabel(シュナーベル博士)によってコオーディネーション能力が3つに定義されます。それは「操作」「適応」「運動学習能力」で、この3つの言葉に対して善が医学を挙げての研究が開始されました。

ちなみに、この時Dr,Hartman(ハルトマン博士)は大学一年生。



1978年Dr.Blume(ブルーメ博士)によって「連結」「分化」「バランス」「定位」「リズム化」「反応」「変換(適応)」の7つに定義されます。



1979年にはDr.Hirtz(ヒルツ博士)によって基礎コオーディネーション能力として5つに定義されます。これは競技スポーツでは無く、学校体育や健康一般スポーツにおいて、「連結」「変換(適応)」2つの能力は習得までの時間が必要であり、そのためには時間が足りないと言う考えのもとで削られました。



以上の事は旧東独の(特にライプツィヒ)大学内での研究であり、このコオーディネーション能力は旧西独においても研究が進められていました。



1982年にはDr.Rotz(ロート博士)が、タイムプレッシャー下と正確な制御化のコオーディネーションと定義

1994年ロート博士の定義を元にヒルツ博士がタイムプレッシャー下の精確な操作、動作変換、適応、と3つに定義しました。



このように多岐に渡って変遷を経てきたコオーディネーション能力ですが、これについてハルトマン博士は「当初Meinelが定義しているものが根本であり、学校体育は5つ、競技スポーツは7つ、とシンプルに考えてよいと思う」と述べています。



そもそもコオーディネーション能力というのは、『主に動作を操作・調節するプロセス、つまり、情報系プロセスによって規定される行為前提』と定義され、その補足説明としてこうあります。

“それは、人間に有するその他の個人特性との関連において、動作技能を習得・完成・安定化する早さと質にあらわれ、また、特に持久性能力などの利用効率性に現れる前提条件となる。”



情報系プロセスというのは、ごくごく簡単に書くと…

自分以外の状況が変化した事を受けて、その情報を受容する事から始まり、それを処理します。

そこから動作のイメージングが始まり、それを実行に移す為のプログラミングが行われ、

そのプログラミングされた事を実際に身体の各部位で操作・調節を行い徐々に実際の動作に結びつけていきます。

動作を行った事で、再び状況が変化しますから、そこで実際の動作(現状)と目標との比較が行われ、その目標を改めて記憶する事から、それに対しての処理を再び始める、という事を繰り返す事です。



これが上でいうところの情報系プロセスを簡単に書いた物なのですが、前回の記事ぐらいから○○系という言葉が出てきました。



○○系というのは、ライプツィヒ学派の中でパフォーマンス前提を分かり易くモデル化する際に用いられている言葉で、ちからや持久の様な身体機能システムを介してパフォーマンスに影響を及ぼす前提となるものを「エネルギー系」と呼び、それに対して、外部環境の状況からの情報を得た上で行動を起こす前提となるものを「情報系」と呼びます。



この情報系の根幹となるのが、コオーディネーション能力なのです。

ただ、注意すべきは、コオーディネーショントレーニング“だけ”を行えばよいのでは無い事をきちんと認識する事が重要です。

あくまでもパフォーマンスを規定する情報系の“パフォーマンス前提”であり、それだけでパフォーマンスを決定できるものではありません。



コオーディネーション能力のトレーニングは、特にビギナー(競技初心者、運動初心者)には前提構築が主とした目的となり、トップレベルの選手はパフォーマンスの前提条件を“調和化”するという言い方をハルトマン博士はされています。



これは、コンディション能力を上手く巧みに発揮する為の能力となる、という意味で、要は効率的になる、という事ですね。持久性能力であればレース全般を通してうまく調節しながら走る事が可能になる、と。



そして、コオーディネーショントレーニングは、何も競技選手だけに特化したトレーニングでは無く、健康増進など一般生活の中で豊かな生活を送る為の前提にもなりうるし、心身障害においても現在はコオーディネーション能力を根本としながら応用されている、という事をハルトマン博士は紹介してくださいました。



そこで、これは僕の個人的な活動報告になるのですが…w



現在、僕は主に一般の方や学生スポーツの現場に運動指導をさせていただくお仕事をさせていただいている身なのですが、障害者認定を受けた方で4週間(内、週2回)コオーディネーショントレーニングの原則に基づき、指導させていただいた結果、トレーニングを行う前までは歩くことは出来ても速度を制御できなかった(ちからの調節がうまくいかなかった)のですが、4週間後にはほぼ改善されました。現在は当施設でのトレーニングは継続しておらず(本人の都合による)、自宅にてコオーディネーションの考えに基づいた内容を取り組んでいただいております。



これも前提構築された結果、歩行というパフォーマンスが向上した、という一例になるのでは無いでしょうか。



運動学習という観点から考えると、幼少時に一般的なコオーディネーション能力を高めておくことは、分かりやすく言えば“経験値”を高める事に繋がります。運動・動作における経験値が高い人間と低い人間が同じ課題を与えられた場合に、解決能力が高いのはどちらでしょうか。火を見るよりも明らかでは無いでしょうか。



例外として、経験値が低い人間が勝てる“条件”があるとすれば、ある課題に対して特化してトレーニングを積んできた場合に全体的な経験値が低い人間が勝てるといえるでしょう。その課題の“専門性”が高くなっていると言う事ですから。しかし、それが将来的に見たらどうなのか、という事を我々は何となく過去の事例を知っているのでは無いでしょうか。



一つの事に専門化していく事と、多様な経験を積んでいく事のどちらが将来的な“のびしろ”が大きくなる可能性が高いと思いますか。



つまり、幼少時の一般的なコオーディネーション能力を高める事は、運動の土台を構築することであり、その後の可能性を高める事に繋がる、という事です。



ここで大切なのが、Koordination-Training(コオーディネーショントレーニング)は、“不断に行うべき”だと言う事です。つまり能力維持(能力保存)は不可能という事を張るマン博士は述べています。

これはトレーニングの原則にもなるのですが、ある一定の時期コオーディネーショントレーニングを行い、徐々に動きが洗練されてきたとします。

しかし、トレーニングの期間が4週間空いてしまったとします。

そこで再び4週間前からの継続した内容をしたところで、それは課す質が高すぎることが予想されます。それは4週間も空いてしまったが為に積み上げた能力が消失してしまう事が原因です。

この事から、“ある一定の時期だけ”に行う事がコオーディネーショントレーニングの本質ではない事が分かります。





少し長くなりましたが、コオーディネーションというパフォーマンスの情報系前提について触れてみました。





次回は、同じく3日目のフォス博士によるワークショップ『新スピードトレーニング-解明と方法-』についてご紹介したいと思います。





以上、トレーニング科学国際集中講座 in Lepzig 基礎資料中

(編集:ライプツィヒ大学スポーツ学部/一般動作学・トレーニング学研究室

翻訳:高橋日出二(ライプツィヒスポーツ科学交流協会))より抜粋・引用