{DE}dolog

dolog=blogにdo、動詞をつけた造語です。 情報選択行動のlog(記録)として書いていきます。

{DE}dolog “クラブ”と“部活”

クラブ組織と部活組織の違いは生じるのか

グラウンド ground light by goto_
前回の記事({DE}dolog 桜宮高校の事案に思う事)を書いてから、果たして、部活動はどのような存在で、クラブとはどのような存在なのか、その二つは対立する軸にあるのか、それについて検証してみたいと思い、調べてみたので、今回はそれを記事にしてみたいと思います。
クラブ (club) とは会員制の集まり、社交・親睦団体などを指す。共通の趣味・興味を持つ仲間が定期的に集まって形成する団体をいう。18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパで成立した。その歴史的過程の中で、社交クラブ、政治クラブ、文芸クラブ、歴史クラブ、スポーツクラブカントリークラブなど様々な類型のクラブが生まれ、21世紀においても世界各地で多数のクラブが人々の生活の中に根付いている。
以上はwikipediaからの引用で、clubについて。
歴史的な背景として、近代欧州とクラブの成立は期を一にしている、と。 同じく引用ではあるが、中世欧州においても人的な結合が行われており、その内訳に関しては、各国で異なるみたい。

次は部活動を主にして考えてみると、以下。
クラブ活動(クラブかつどう、club activity)もしくは、部活動(ぶかつどう、extracurricular activity)、サークル活動(サークルかつどう)は、いずれも共通の趣味・興味を持つ仲間が集まった団体の活動の事。
この文言だけを捉えれば、本質的に「クラブ」と「部活」における“差異”が生じているとは思えない。

しかし、特に競技で言うとサッカーが考えやすいので、サッカーを例にして考えてみると、今では“街クラブ”といういい方が普及しているように、Jリーグに所属しているようなプロチームの下部組織ではなくても、街中には多くのクラブが存在している。

そして、基本的にそこで行われるのは“サッカー”をやる事が好きで集まっている人間の集まりであり、年代が離れている人間が交わる事の出来る“社交場”でもある、という点。

練習をする時間が年代によってバラけるため、時間が被ってしまう事があるわけだが、そこで少年達は自分達よりも上の年代の人間に触れたり、実際にプレーしている様子を見る。時には、年代が上の人間達との間に入るような少年少女もいるだろうし、そういった触れ合いがクラブには存在する。

そういう根本的な在り方は、大人達が集う夜のクラブにおいても、音楽や食事や酒が好きな人間同士が集まる社交場として提供されているわけだが、この“クラブ”という在り方について言えば一緒。様々な年齢や立場の人間が、一つの場所に集まり、同じ嗜好と話題を共有する、という意味で、である。

翻って部活動についてはどうか。

wikiに書いてある「運動系と文科系」の項は、何だか恣意的な部分があるので引用することを避けるが、文部科学省のHPに載っている学習指導要領中等教育の総則において部活動についての記述があるので引用したい。グラウンド by zamojojo

第4 指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項

(13) 生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際,地域や学校の実態に応じ,地域の人々の協力,社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること。 

また、別の「我が国の文教施策[第1部 第3章 第2節 3]」のページには、部活動の意義や活動における課題等が考察されている。ここで触れられている部活動については、あくまでも学校生活の中の一部で、学習を阻害する要因にならぬように配慮する事が求められているように感じた。

運営方法については、中等教育(中学、高校)の部活動は基本的に「課外活動」であり、必修ではない。これは、2003年度に改訂された学習指導要領において、必修のクラブ活動が禁止される文章が組み込まれたことに起因する。各学校の実態に合わせて取り組めるように「課外」化したと見れる。

予算・活動費

クラブと部活動の違いは、運営上の資金調達が最も大きい。クラブの場合は、参加する人間が会費を払う、もしくは協賛を募
ることで活動費として予算化できるが、学校の部活動においては生徒会傘下である事から、学校の中の予算の一部ではあるものの、それは学校が持つ部門の資金ではなく、あくまでも生徒会費中の分配金。
グラウンドのライト by goto_
つまり、他の部活動の活動費を含めながら生徒会が分配を判断する事となり、一律に判断される。もちろん、部活動の活躍如何によっては、(広報的な意味での)活躍度に応じて分配金が多くなることも考えられる。それプラス生徒達からの部費、OB会や保護者会のバックアップがあって、スポーツ強豪校の活動費は賄われている。

選択する生徒側から考える

先ほど、サッカーのクラブを例にしてクラブと部活について考えてみたが、サッカー以外の競技において、“部活”以外の選択肢が無い事が大半で、もし、部活動に所属している選手が、その学校の“部活動”にどうしても馴染めなかった場合、その時点で諦めなければならない状況に追いやられてしまう。

もし、それが学校生活の第一に据えた上で学校生活に臨んでいた場合、それは全くもって悲惨な状態だと言えないか。辞めた場合、他に何か見いだせればいいが、元々そのスポーツが好きで入ったが辞めなければならず、その次の受け皿もない。

れは自分自身が経験した事がある事なのだが、辞めようものなら学校という狭い社会の中でどのように見られるのか、を常にびくびくしながら生活しなければならない。そうなると学校へ足を運ぶことすらしんどくなってしまう。

今回の桜宮高校での事案もこういった事が背景にあった上で起こった。
今後は様々な競技においてクラブ化していく事が考えられるが、陰湿な状況にある事は変わりないと思うし、抜本的な解決、というのも何を持って抜本的かは解らない。

だけど、以下の文章と、そのあり方が全てを語ってくれているような気もする。

 ヨーロッパのクラブが趣味やスポーツを通じた交流をその本質的な目的としているのに対し、日本のクラブは趣味やスポーツそのものが目的となってしまい、交流が必ずしも目的として意識されないことも多いように、両者の間には小さくない差異が横たわっている。

ENDO,Ryosuke

引用、参考

{DE}dolog 桜宮高校の事案に思う事

議論すべき事は部活動の在り方では無い

 Takanawadai Elementary school 高輪台小学校34 by scarletgreen
最近、卒業生だと思われるコメントや文章を目にする事が増えて来た。そこには自らが卒業した学校に対しての肯定的な考えを書いている。


それは勿論、否定されるべきでは無いし、自らのルーツだと考える学校が世間から“冷たい視線”を送られている事自体、とても耐えられない事は想像に難く無い。

しかし、卒業生や在校生の学校活動の肯定的なコメントや文章は、この際、論点にならない。と個人的には感じており、その理由は、問われ、懲罰を受ける立場にあるのは、学校側の体制であり、在り方だからだ。

彼らの言葉は本当に心からの叫び、と言うのがピッタリなほど自らの生活を肯定的に述べている事が多い。そして、体育の存在自体をフォローする向きがあるから、本当にそうなのだと感じる。 

ただ、先程も述べたが、今回の論点は、体育科の在り方では無く、学校組織の体制や在り方について、だ。 

そして、批判されるべきは、学校であり、教育委員会なのでは無いか。

橋下大阪市長は、組織のトップとして、問題のある部門のマネジメントを適切に是正しようとしているだけであり、そもそも今回の問題は「一教員が取って来た行動によって一人の生徒が自ら命を絶つに至った」 という事実だ。

そして、それを受けて適切な調査・報告を実施する事が出来なかった学校組織の問題であり、付け加えるならば、それを諮問・追求しなかった 教育委員会にあるべきであり、その矛先が大阪市長に向く事は個人的には納得できない。
Takanawadai Elementary school 高輪台小学校24 by scarletgreen
そして、本日は生徒達が記者会見を開くに至ったが、それについて教育評論家である尾木氏が「命の重みわかっているの?」……尾木ママ、桜宮高生徒による記者会見 ...という記事にも出ている様に、21日に行われたこの会見に対して非常に否定的な立場を表明している。

僕自身も、この会見については否定的に見ていて、何故、大人達は止める事が出来なかったのか。
在校生には申し訳ないが、この会見を開き、自分たちの望む形に戻ると言う事は、今回の事件が“無かった事”になってしまう可能性を示す事が理解出来ていない様に思う。

在校生達は橋下大阪市長を悪者だとして認識しているようだが、それは観点とする目が足りないのでは無いか。

上でも述べたが、彼らのしている事は、自らの命を絶つに至った彼を、そこまで追いつめた人間が誰なのかを第一に認識すべきであり、そして、それを管理出来ていなかった組織を責めるべきであり、その理由は、そこが「現場」だからだ。

橋下市長は「現場の環境」に問題があり、それをマネジメントしている人間が「不適切である」と「判断」しただけであり、それだけの事案が生じてしまったのだから然るべきである。それが市長の在り方であり、マネジメントとして当然の「態度」だからだ。 

会見をした彼らからしたら僕も「大人」であり、自分たちの事を理解してくれない「冷たい人間」なのだろうが、それは否定しないし、自分が当事者であれば、それが正義だと考えるだろう事も想像できる。

ただ、その認識、常識が「内輪」だけでしか通用していない事実も認識すべきだとも思う。


{DE}dolog 落語ってご存知ですか?

落語をきいたことあります?

皆さんは落語をお聞きになった事がありますか?


Suehirotei by kemeko1971僕は落語が非常に大好きでして、特に昨年、新潟で独演会を開いた春風亭小朝師匠のファンでもあります。


名人芸だと言われていた小朝師匠の落語を昨年、初めて聞いたのですが、まさにビックリでしたね。


落語ってのはだいたい二人から三人、場合によってはもっと大勢の事もありますが、出てくる人たちの掛け合いを落語家が面白可笑しく、時には人情話をしたり、という日本が誇る伝統芸能です。


小朝師匠の話の何がすごいって、登場人物全てが独り立ちしているんです。


これって、落語を聞いた事のある方なら、お分かりになると思うのですが、下手な人であれば全ての登場人物が一緒になってしまいますし、一人は違っても、もう一人、二人が一緒になってしまう、なんて事もあります。


それだけ難しい事もであるのですが、それを事も無げにやり遂げてしまうのが春風亭小朝、その人なんですね。

かくいう僕と小朝師匠の出会い(?)は、師匠が【三匹が斬る】で河童を演じている時に遡ります。

高橋英樹役所広司という日本を代表する役者に囲まれながらも、その存在感を存分に発揮していました。

師匠が河童のとぼけたキャラクターを見事に演じていた事もあり、僕は三匹が切るにドンドンのめり込んでいった事を思い出します。

また見たくなってきたな…。

落語は枕から始まる

落語ってのは、本題となる話の前にお客さん達を温める“つかみ”です。

この枕ってかなり重要で、この枕から本題に如何にスムーズに入れるか、また、温める事が出来るかって所にも落語家の力量が出てきます。

ちょうどマイナビニュースで落語の枕について記事が上がっていたので、それをご覧になって見てください。

記事だけでもクスッと笑ってしまった人は、もう落語ファンだと思って間違いないでしょう(笑)



リンク

{DE}dolog ハイな状態を作る事は危ない?

アナンダミドという物質が今回の主役

名古屋大学(名大)は、線虫をモデル動物にした研究により、体内で鎮痛作用を示す内在性のマリファナ様物質(いわゆる脳内マリファナ)である「アナンダミド」が、切断された軸索(神経の線)の再形成(軸索再生)を阻害することを発見したほか、その阻害を仲介するシグナル伝達経路も同定したと発表した。

という始まりをした今回の記事ですが、僕は勉強不足だったので“アナンダミド”なる物質について何も知りませんで、ちょっと調べてみました。

えてして、こういうものを調べると相似的に色々な物質が出てくるものですが、中でも「THC」や「カナビス」という名前が出てきて、この二つと共に語られるものが多かったです。

2010-05-08 199 by 石川 ShihchuanTHCというのは、正式名称テトラヒドロカンナビノールという大麻向精神作用のある物質。
カナビスというのは、大麻の事でした。

マイナビの記事中でも語られているのですが、欧州では神経性疼痛の治療用に医療用大麻を使用している、ということで、向精神作用のある大麻を使用して、言い方は悪いのですが痛みを「誤魔化」す、という部分があるみたいです。

アナンダミドについて

そこで、今回のアナンダミドについてなのですが、このアナンダミドってのはTHCの類似物質、ということで、カナビノイド研究の第一人者ラファエル・マッカラム博士が1992年に発見されたそうです。


その性質としての説明は以下の通り。
脳内でTHCを取り込む脳のレセプターに対して、アナンダミドもきわめて容易に結合することを見出した。THCの場合は長く脳のレセプターに留まり強く長いハイを引き起こし、初心者でもくらくらするような法悦感じを味わえるが、アナンダミドの持続効果はTHCよりもずっと短い。

また、こんな説明もありました。
すべての哺乳類だけではなく魚や鳥類や爬虫類はどれもアナンダミドをベースとした調整システムを持っているらしい。それどころか、チョコレートに原料のカカオナッツにも見つかっている。
この下には「チョコレートを食べると楽しくなる理由はここにあります」なんて記述があって、少し笑ってしまいましたが…。

ただ、このサイト(下部リンクあり)の中で、
アナンダミドは幼少の哺乳動物の生存にも深くかかわっている。乳を飲むという本能的な行動の全体はアナンダミドの存在と密接に関連している。「もし、動物がアナンダミドを受け取れないようにしてしまうと、乳を飲まなくなってしまうのです」  とマッカラム博士は説明する。
と語られている部分があり、先の記事の中で触れられている名古屋大学研究グループの以下の文章と同時に読んでみると…
ヒト体内で合成されたアナンダミドの量が多いと、より強い鎮痛反応を誘導すると同時に軸索再生も阻害すると推論されるともコメント。つまり痛みが弱いと神経の再生も弱いということで、これは切断神経に痛み(再生痛)があるほうが神経機能の回復が起きやすい、という臨床的な経験則と符合するほか、欧米などで神経性疼痛の治療に用いられている医療用大麻などの投与(大麻はアナンダミドと同様、あるいはそれ以上の作用を持つとされている)は、もしかすると痛みの緩和と引き換えに軸索再生の機会を奪っているのかもしれないともコメントしている。

なーんてあるのですが、マッカラム博士はこう述べています。

こうしたアナンダミドの働きは、以前から行われている脳内化合物ドーパミンの研究結果ともうまく整合している。アナンダミドの量はドーパミンの生成量に直接関係しているが、「アナンダミドが少ないとドーパミンが多く出すぎて統合失調症のようになる人もいるし、逆の人もいます。」
「哺乳動物では、アナンダミドのレベルが低いと自然流産がおこりやくすなります。これは、アナンダミト・システムを閉じてしまうと病気になりやすいこととも符合しています。」
何だか板挟み状態になってきましたが、 名古屋大のグループは
今後の研究によりアナンダミドの作用のうち軸索再生阻害作用だけを阻害する安全な薬剤が開発できれば、痛みの緩和と軸索再生を両立できることが期待されるとしている。
Medical Simulation by Army Medicineと締めています。

研究次第なんでしょうが、人の体ってのはホントに難しいですね。
ちょっと間違ってしまえば、軸索再生だけではなくて、精神的に常にしんどい気持ちを抱いている人を作ってしまいかねない、ということですもんね。

いやぁ…。
もっと勉強します。

リンク:


{DE}dolog “チーム”と“グループ”の違いを明確に

日本には「チーム」がない

DSC06164 by shi_k今回は、齋藤ウィリアム浩幸著の「THE TEAM」のご紹介を。

著者はロサンゼルスに生まれ育った生粋のアメリカ人ですが、両親は日本人と言う日系二世。

タイトルに惹かれて思わず手に取ってしまった本なのですが、内容としては著者の来歴から始まり、「TEAMとは何をすべき集団であり、どんな集団なのか」という所へ。


最終的にはTEAMを構成するために一貫して、齋藤ウィリアム浩幸氏がどのような活動をしているのかを紹介している。


詳しい内容に関しては本書を読んでいただきたいので、今回はその内容の中でも自分の琴線に触れた部分をかいつまんでご紹介したいと思います。


チームを教育するアメリカ、個人主義化が進む日本


この文言が目に飛び込んできたときに何と違和感があった事か。

自分は勝手にアメリカの方が個人主義だろうと考えていたのですが、両国を跨いで仕事をしている著者の見解は違う様子。

ですが、以下の文章を読んだ時に納得しました。

日本では「アメリカ人は個人主義だから」と決めつけている人が多いが、いろんな国の移民が集まっているアメリカほど、チームの大切さを身にしみてわかっている国は無い。チームの中で力を発揮できるかどうかが、教育の基本になっている。
いくら個人としてIQが高くても、チームのメンバーとして能力を発揮できなければ評価されるのは難しい。チームの中でリーダーを育てるという考え方が徹底している。

 ここで書かれている事は確かにその通りだな、と素直に納得する事が出来ました。

個人主義、と言うよりも個人が主張しなければならない土地柄であり、誰もが主張しあう中で自らの能力を十分に発揮しようとするためにはどうしたらいいのか、という点で常に考えながら行動している訳ですね。


衝突を恐れない

今回の記事タイトルに使わせてもらった「“チーム”と“グループ”の違い」について、内容から抜粋します。

まずはグループについて。
チームとグループの違いはなんだろう。私がよくする説明はこうだ。
グループは、あらかじめ決められた目標を遂行するために集められる。日本の組織はほとんどがこのタイプだ。個々のメンバーは目標の立案に必ずしもコミットしていない。(中略)提案や創造性の発揮は求められていない。反対意見はグループの分裂につながり、容認されない。
 次はチームについて。
これに対し、チームでは互いに助け合い、補い合うことで目標が達成される事をメンバーが理解している。メンバーは仕事をさせられているというのではなく、自分が主体的にやろうというオーナーシップを持っている。自由に意見を言い合って、コンフリクト(衝突)を怖れないし、むしろアイデアが生まれるチャンスとなる。

非常に考えさせられる部分でした。

今まで自分は、“そもそもチームとグループの違い”すら考えた事がなく、ましてやその両者に明確な違いを定義づけるなんて事をした事もなかった訳です。

自分の中でホントにストンと落ちてきたのは、「個々のメンバーは目標の立案に必ずしもコミットしていない」という箇所。

実際に体験した事があっただけに心苦しいのと、確かにこういう形式で“チーム”と称している人達は少なくないように思います。


失敗を許容できる


個々の章は、最近、自分の生きる指針と言うか、モットーというか…

深く考えるテーマでもあるのです。

というのも、自分自身が失敗して、人に注意や指摘をされる事は決して嫌いでもないし、むしろ望んでいる事でもあるんですね。

ただ、人に対して其れを望むのではなくて、失敗が起こったのであれば、その原因だとか要因を一緒に考えてあげられるだけの人間的な魅力を持ちたいな、と思っているわけですよ。

お恥ずかしながらね。

そんな折に、本書の「チームは失敗を許容する」という項があり、その最初の一文にこうあったんですね。

チームは失敗を許容する。失敗を許容しなければ、チームとはいえない。

 これには読むにあたってので前提があって、チーム内では弱みをきちんと把握している事が必要だというのですね。

つまり、いい所だけではなくて、チームメイトの悪い部分も知っているからこそ、その部分を埋めるために働きかける事も出来るわけで、其れを知らないにもかかわらずチームは組めない、と。

失敗は成功の母なんて言い方をしますが、失敗したことでカムバックすることが難しい僕の今まで生きてきた世界では到底考えられなかったものです。


チームはいつでもだれでもなれる

今回、この本を読んで思った事は、常に当事者性を持って、日本というチームにほんの小さなことでもいいから、その一員として自分のできる活動をやっていこうという気概が生まれました。

僕みたいな名もなき人間でも、チームの一員として働く事が出来る訳で。
言ってしまえば、この記事を読んでいただいた方ともチームを組めるわけです。

狭義の直接的なチームではなくても、気概を同じく持ちながら行動していく事が、チームとしての活動になると思います。

いい本でした。





{DE}dolog ロコモティブシンドロームって知ってますか?

ロコモティブ・シンドロームとは

Running by mrhayata昨日、ニュースを流し読みしていたら、見慣れない言葉がありました。

シンドロームと言うことですから、人の身体にかかわる事だろうと認識し、そのニュース記事を開いてみたんです。

その記事のタイトルには「メタボより怖いのは「ロコモ」!? 40代からの対策で“大きな差”」とありまして、以下はそのロコモティブシンドロームの説明分の抜粋です。

ロコモは「ロコモティブ(Locomotive)シンドローム」(運動器症候群)の略。Locomotiveは「運動の」という意味(機関車という意味もある)で、骨や筋肉、関節など体を動かすために必要な「運動器」を表す。運動器は加齢によりその働きが衰えるため、歩く、立つなどの移動能力が衰え、生活の自立度が低くなる。その結果、介護が必要となってしまう。ロコモのためにメタボになって血管障害を併発したり、認知症を併発したりすることにもなるという。
  
つまりロコモとは、「現在は自立できているが、近い将来、要介護になる危険性が高い症状を持っている状態や、すでに要介護になってしまっている状態」を表す言葉ということになる。

先日の文科省発表の体力テストから40代後半から体力低下が顕著である点を挙げて、記事の中では「40代からの対策が必要」 と述べています。

そして、何よりも記事中で触れているのは筋力の低下です。

筋力の低下は運動習慣の低下


20歳をピークに徐々に低下していくことが指摘されていますし、以下の論文によっても説明されています。(日本人筋肉量の加齢による影響 谷本 芳美、渡辺 美鈴、河野 令、広田 千賀、高崎 恭輔、河野 公一著:http://bit.ly/RBeosL

まず、20歳以降は確実に“運動習慣”ということでいえば、自ら時間を作って取り組まない限り、低下するというか、0となってしまう。

なので、体育のある学生時代は週3回の運動を少なからずしていたのが、社会人として働き始めると0となる。

これで筋力の維持をしろ、と言われても難しいのは当然で。

皇居ランニング Running around The Imperial Palace by jetaloneとなると、如何に個人で運動習慣を身につけられるか、によって「ロコモ」の発症率は低下出来るかどうか変わってくる、と言えます。

記事中でも「日本ロコモティブシンドローム研究会」を設立して同研究会委員長を務め、現在「ロコモ チャレンジ! 推進協議会」http://www.locomo-joa.jp/)副委員長も務める大江隆史氏は、以下のように述べています。
「骨は運動と栄養に気を付ければ、数カ月で健康な骨に入れ替わる。筋肉は3週間で変化が実感できる」

当然と言えば当然の話なのですが、如何に、自分の身体に対して負荷を与えてあげられるか、で自分の身体が変わるわけですね。

自分も運動習慣を改善してからは非常に自分の体に“健康”を感じる事があります。
自分の体を大切に思うのならば、自分の身体をいじめる事も必要だと。

メタボより怖いのは「ロコモ」!? 40代からの対策で“大きな差” - トレンド - 日経トレンディネット


{DE}dolog 子供の体力、回復…?

大人たちの働きかけが効いてきた…?

S.60には及ばない。けど、向上している

以下は47NEWSからの引用。
落ち込んでいた50メートル走の記録が改善するなど子どもの体力が大きく向上し、回復傾向がはっきりしたことが7日、体育の日を前に文部科学省が公表した2011年度体力・運動能力調査で分かった。子どもの体力のピークとされる1985年ごろには及ばないが、現行の調査方式になった98年度より大幅に伸びた。

文言として「回復傾向」ってのが気になりますが、改善できているってことは非常に良いニュースですね。


子供の体力は二極化している!?

ただ、これはSAQ協会豊田さんからお聞きしたお話なんですが、実際のところ、運動の出来る子供は記録が伸びていて、運動が苦手な子がどんどん出来なくなってきている、という二極化が現実ということですから、今回の結果も安直に判断する事は出来ませんね。

 で、このデータを見ると、まさにそれに拍車をかけている部分がありまして、ほとんど毎日運動をする(3日/週以上)運動をする群と、しない群とで運動能力に大きな開きがある事が確認できます。

毎日運動をしている群は、運動能力低下を叫ばれる中でも頑張っていて50m走に関して言えばS.60のデータよりも上がっています。しかし、運動をしない群に関しての低下度合いは、かなり大きいです。

これらを確認すると、やっぱり運動をしている子供の体力に関して言えば、落ちるどころか向上している。しかし、運動をしない(もしくは運動をする習慣のない?)子供たちに関しては喫緊の問題だと言わざるを得ないのでは無いでしょうか。

そんな子供達に対して何が出来るかな…

ただ、各地域毎に、各団体ごとに、子供の体力低下に歯止めを効かせようと努力しているのを分かるだけに、もどかしい気持ちになる部分もあるのですが、今後も二極化は大きくなっていくように思います。

それに指をくわえているだけでは無く、ちょっとでいいから運動を好きになってもらえる様な働きかけを私を含めて考えて行動していく必要があると思いますね。

しかし、運動を好きになってもらうってのは、結果として…って話で、我々みたいな大人が出来るのは、彼らのプロセスを上手く働きかける事しか出来ないんですよね。

文部科学省(平成22年度体力・運動能力調査結果の概要および報告書について):http://bit.ly/WCkpZt

{DE}S.Jobsは29年前からipadを構想していた!?

先見の明ってのはこういう事をいう

いずれ、時代は「体験」を大事に扱うようになってくる、という事を83年の時点で考えており、そこからおぼろげながらも構想している事に対して鳥肌が立つ。

大切なのは今を見た上で、自分が欲している事が何で、それが人としてどのような“欲”に相当するのかを考える事が大切な事が分かる。

構想はワイアレス通信によるユビキタスコンピューティングに広がり、そうした未来に向けたAppleの戦略として「本のようなスタイルに素晴らしいコンピュータを組み込み、常に持ち歩け、そして20分程度で誰でも使い方を習得できるようにする」と語った。まるで、今日のiPadiPhoneである。

この文章の中には、今を踏まえた上で、未来を語っている訳だけど、まぁ見事だね。
こんな風に語れる奴は、既存の考え方じゃ捉えきれないんだよ。

スポーツは、そもそも「体験」が重視されているものだけど、今一度、頭でっかちになるんじゃなくて、どんな体験を与えられるかってことに頭を向けられないとだめだな。

http://bit.ly/R0ev0e