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ドイツはライプツィヒからの帰国 その11

今回は、Dr.Minowの「発育発達学」です。



発育発達というのは、運動学と密接に関係しており、コオーディネーションと言う考えはこれを根幹にした考えと言えるのでは無いでしょうか。



そもそも運動の発育発達というのは、ヒトの発育発達に関する一つの領域であり、運動能力や技能(スポーツ技術・技能)、運動形態(基礎技能)および行動様式の個体における発達を包括し、進化と退化の両プロセスから成り立ち、他の領域(生物学的、身体(形態)的、心理(社会)的学問)と密接に関連しています。





そんなヒトの発育発達にはいくつかの条件が存在します。以下ではその条件を上げながら説明を加えたいと思います。



まず、遺伝的な前提条件。

これは両親からの遺伝からどのぐらいの“枠組み”があり、その枠組みの中でどれだけの潜在的なのびしろがあるのか、という条件。



次に社会的環境(条件)。本人以外の状況とも言えます。

例えば、宗教的に女子選手が存在しない国。宗教的にその競技種目が行えない国。という中で運動的な発育発達が促進する事は考えづらいですし、もっと身近な例を上げるとすれば、その選手の両親が運動に対して理解・知識があるのか、などといった事も社会的な条件と言えます。



次は個人的な活動条件、取組み。

これは運動をしている人としていない人では発達に違いが生じる事は確かであるという事ですね。同じ生物学的年齢、同じ身体条件、同じ環境、同じ栄養条件にいる子供同士が発達していく過程に、“運動”というエッセンスが入るのか、入らないのかで“発達の仕方”が異なるのは容易に想像できると思います。



このような条件を前提とした上で、発育発達を見ていく必要があり、人間の発達というのは、“共通する段階”があるのですが、それは“歴(れき)年齢”では無く、“生物学的年齢”上で、という事を前提にする必要があります。歴年齢というのは、読んで字の如しで、暦上今何歳なのか、です。



歴年齢通りに発達している事を「通常発達」とし、これに対して、二つの発達が存在し、一つは減速的発達。つまり遅熟。もう一つは加速的発達で、いわゆる早熟。



同じ学年の中にも、体格的な発達が著しく、運動能力も高い子がいたと思ったら、その逆に身体的な発達が他の子よりも見劣りし、運動能力もそれほど高くない子が混在しているのは、皆さんの経験上お分かりになる範囲だと思います。



この差は、平均的に±2歳はあり、例外的には±4歳という事例も存在する、とミノウ博士は言いますが、続けて、これは異常なでも事では無く、正常的成長であり、個体差がある事は当然であると言います。



これを日本的学年の中で表現してみます。

例えば、11歳の学年(小学校5年生)で、生物学的な年齢でいうと13歳と9歳が混在する状況です。これが例外的な±4歳になると、15歳と7歳が混在し、その中で運動・トレーニングを行う、という事です。



皆さんはこれについてどうお考えですか。

13歳と9歳に同じ運動課題を課すこと。ましてや15歳と7歳が混在する環境で同じ運動課題を課すことはどうですか。



以上の事を踏まえると、トレーニングは学年的な歴年齢に合わせてプログラミングされるものでは無く、生物学的年齢を考慮した上でプログラミングされるべきだと言う事が分かります。



そうしない事で何が起こるのかと言えば、早熟選手ばかりが選抜されると言う事です。

ドイツの中で水泳の選手のタレント選抜をした際、下記のような数字が出た、とミノウ博士は言いました。



     早熟      遅熟

13歳   68%      32%

17歳   20%      80%



上記の数字が何を示すかは、たぶんお分かりになると思いますが、年齢が進んで来るにつれて、遅熟選手のパフォーマンスが早熟選手を上回った、という事です。

この例から分かるように、遅熟選手の方が後々のパフォーマンス比較において早熟選手を追い越す傾向は疑いようのない事実です。



また、それを踏まえた上で選抜が行われないという事は、早熟の選手を多く選ぶ事に繋がり、それは早熟型選手に対して遅熟型選手の環境が悪くなってしまい、競技自体を諦めてしまうと言う状況を作りかねません。そして、それは避けなければなりません。



例えば日本においても、注目を浴びてこず、成熟期(日本でいう思春期)に無理なトレーニングをせず、大人になってから記録を伸ばし始めたマラソン選手などは、遅熟型の選手と言えるかもしれません。これは“結果的に”良かった例ですが…。



そもそも早熟・遅熟というものは、基礎知識として選手の生物学的年齢を把握しておく必要があるのですが、この生物学的年齢を把握するには、児童後期(女子11−14歳、男子10−13歳)、青少年前期(女子11−14歳、男子12−14.5歳)の間に手関節(手首)のレントゲンを撮り、骨端線から判断するという作業が必要なのですが、これは倫理的な問題で不可能です。



では、どうしたらいいのか、という所でミノウ博士は「メルクマールで把握していく必要がある」と述べます。身体的、運動的特徴を踏まえた上で判断し、指導に当てる必要があると言う事です。



そんな中、生物学的年齢をだいたい予測できるツールが出来たという話題が上がりました。

これはいくつかの特徴を数字として打ち込む事で、その選手のだいたいの発達予測をする事が可能になる、という事でしたが、まだ実験運用中であり、これからその精度を高めていく事が必要だという事でした。





しかし、冒頭でも触れたとおり発育発達というのは社会条件によって左右されます。



胎児期の状況いかんによっては、新生児以降の障害が残る可能性がある事が確認されたそうです。

また、欧州全体として青少年期の身長・体重共に大きくなっていることが確認されています。これは日本においても言えることだと思うのですが、栄養が十分に行きわたる状態になると言う事は、性成熟が早まる事を指し、成長に関しても早まる事が言えます。



しかし、これらは常に更新されているものであり、時代が進めば○○期が早まる事が予想されます。それはパフォーマンスとは何か、という所でも触れたように、100年前との比較が成り立たないのは、こういった社会的な条件が選手の発育発達状況を変えてしまう事も一つの因子になっていると言えます。



今回はここまでにして、次回は発育発達の中の「感受期」について説明させていただこうと思います。



引用・抜粋)

?トレーニング科学国際集中講座 in Lepzig 基礎資料中

(編集:ライプツィヒ大学スポーツ学部/一般動作学・トレーニング学研究室

翻訳:高橋日出二(ライプツィヒスポーツ科学交流協会))より